ラーマリンガ・スワミ物語ー不死身の肉体を得るに至った稀な聖者

ラーマリンガ・スワミ物語

ラーマリンガ・スワミ物語

死にゆく肉体をも光に変えて
不死身に至った聖者の
誕生~消えるまでの物語

ラーマリンガスワミの年表

  • 1823年10月5日:マルドゥール(Marudur)村で生まれる。
  • 1867年:貧しい人々に無料で食事を提供する施設をヴァダルル村に設立。
  • 1872年1月25日:インドのヴァダルルに「サティヤ・ニャーナ・サバイ」(真理と英知の寺院)を開設。この世俗的な場所は寺院ではなく、供え物も祝福も行われない。肉食者を除くすべてのカーストの人々に開かれており、肉食者は外側からのみ参拝が許されている。ラーマリンガが灯した樟脳ランプは絶え間なく燃え続けている。
  • 1874 年 1 月 30 日 (50 歳) :信者に「部屋が開けられる時、その部屋には誰もいないだろう。まさにその瞬間から、私は、すべての人の魂に入り、神の愛の正しい道に人々を導くだろう。」と伝えた後、身体を非物質化して姿を消す。
サティヤ・ニャーナ・サバイ(真理と英知の寺院)

サティヤ・ニャーナ・サバイ(真理と英知の寺院)
1871年にラーマリンガ・スワミ自らが設計し、建設を弟子に指示して半年で完成したと伝えられている

google map:https://maps.app.goo.gl/ij1742hC3ES919YL7

ラーマリンガ・スワミがずっと住んでいた村にあるシッディワラガ寺院
最後に肉体を非物質化した部屋があります。

google map:https://maps.app.goo.gl/Puc59XMFKuWTZS1GA


主な教え

  • 最も好んで使った神の呼び名は「アルッペルン・ジョーティ(Arul Perun Jyoti:偉大な恩寵の光)」。
  • 灯されたランプから発せられる輝く炎を神としてではなく、むしろ神の永続的な全能性を表す象徴として崇拝することを奨励した。
  • 社会に悪影響を及ぼすインドのカースト制度に反対していた。
  • 「生きとし生けるものへの奉仕は解放(モクシャ)への道である」。と説いた。

全ての生き物を同様に見る資質を培った人は、本当に全能の神なのです。(ラーマリンガ・スワミ)

  • ジーヴァ・カルニャム(生き物への慈悲)の概念によって、生涯を通じて殺生と肉食の禁止を強調し続けた。

人々が粗野で残酷な肉食をしているのを見ると、私はいつも悲しみに暮れます。(ラーマリンガ・スワミ)

  • 死は自然なものではなく、人生の最優先事項は死と戦うことであるべきだと宣言した。

教育とは不死を手に入れる能力と永遠に生きることを意味する。(ラーマリンガ・スワミ)

  • 宗教自体が暗闇であると宣言し、外的な象徴ではなく、形の無い神性と内なる精神性に焦点を当てるよう奨励した。彼は、学者たちが議論する宗教や、儀式に重きを置く正統派の人々の宗教を、ひどく嫌った。

神は、大衆にも、悟りを得た者にも、等しく祝福を与える。(ラーマリンガ・スワミ)

  • 彼の熱い望みは、いまここに存在する神に達するために、「サンマルガ・サンガム(Sanmarga sangam)」に彼らを参加させることだった。ラーマリンガ・スワミは、神の愛の道に、世界中の人々を導きたいと願った。それは、あらゆる暴力・乱暴から自由になることだ。彼は、講義・エッセイ・心が和む詩・美しい歌を通して、そのメッセージを伝え、世界中の人間同士の関係、そして世界中の人間と生物との関係に、「世界的兄弟愛」を主張した。彼は、みんなは同じである、すべてはひとつである、と全人類に明快な呼びかけをした。それは、まさに、カースト・信念・信仰・宗教の違いという妄想から解放されることだ。

神はこの目的のために私を遣わした(ラーマリンガ・スワミ)

クリヤナンダより(2018年)

今回のインドで通称ワララールことラーマリンガ・スワミの恩恵を沢山受けたこととアルナーチャラのあるティルバンナマライでも、何故かラーマリンガ・スワミの団体が複数存在しアシュラムを建設中のところが多かったです。

要するにラーマリンガ・スワミが亡くなられたのが1874年で現在で144年経つのですが今になって活動をどんどん行っていってるということなのです。

今回、沢山いる聖者の中でも不死身の肉体を得るに至った稀な聖者であるラーマリンガ・スワミの生涯を有志の方と私で翻訳して公開することに致しました。

目次

ラーマリンガ・スワミの
晩年のメッセージ

1873年の11月の間、シッディワラガ寺院の前に旗を掲げた後、スワミは長い説話をした。その旗は、聴衆が将来どんな仕事を引き継ぐべきなのかを、はっきりと示していた。

いくつかを以下に抜粋する。

「注意しなさい。あなたは、どんな宗教も信じてはいけません。なぜなら、どんな宗教も、その神はただの偶像だけで、その宗教は本当の真理をはっきりと表しているわけではないからです。

すでに十分苦痛を味わった後、残された時間はわずかなのに、そういった宗教を学び始めたとしたら、非常に少ない恩恵しか得られず、祝福されて永遠に生きる機会を失ってしまうでしょう。

時はとても短い。

先に述べた理由で、私は唯一の証人としてここに今、立っています。

私が、一度はシヴァ神を深く信仰していたことは、皆さんがよくご存知のことと思います。

その目的はすでに消え去りました。

私がシヴァ神に深い信仰心を抱いていたことは、その当時、私にはわずかばかりの智慧しかなかったことを証明しています。

神は、私を高い次元まで引き上げてくださいました。

これは、ただ単に私が完全に神にすべてを委ねたからです。

もし、あなたが同じ道を選ぶなら、あなたは最高の恩恵を受けるでしょう。

わたしが、ここまで達成できたのは、宗教的熱心さではなく、ただ神の愛によるものです。

神の慈悲深い偉大な御業だけで、私をこの高い次元にまで引き上げていただいたのです。」

プロローグ

この世界で、善がすたれ悪が蔓延する時、全能の神は肉体を持った人の姿で現れ、状況を正して姿を消すものだ。

ヒンドゥー教や他の宗教において、このような事例は山ほどある。

一方、思慮深く博学で高徳な魂を持つ者たちが、苦悩や間違った解釈から人間を解放し、神に近づくために尽力したこともあった。

しかし、彼らは神を理解する資質を充分に持ち合わせていなかったために、教えを説くことをやめてしまう者も少なくなかった。

その結果、それらの指導者(グル)を尊敬した信者たちは、また人間を疑念(確信の無い状態)へと導いてしまった。

それは、人間が単に肉体の存在であり、神に達するためにはこの肉体を捨てなければならないという間違った解釈をしたためである。

しかし、真理はそうではない。神は永遠であり、神は宇宙のひとつひとつの原子の中に存在することが理解できる。

物質の体は5大元素、すなわち空、風、火、水、地の所産である。

あらゆるところに神が存在することは、この物質の体を持つことでとても感じられ、この体で生きることでのみ神を認識するのだ。

人間は、他の生物が持ち合わせていない論理的思考を神から授けられている。

この論理的思考で、人間は善と悪を識別し、より良い人生を送ることができる。

人間が体を通して、真の神の形を認識し、その結果永遠に祝福された人生を送ることができるのは、明らかである。

この原理はシンプルに見えるけれども、未だ人間は死ぬべき運命を超越して永遠に生きる完全性には達していない。

その主な理由は、人間が正しい道(生き方)を歩んでこなかったことと、同様に、人間をその状態に導く者がいなかったからだ。

今まで、人間は物質の体のレベルで神を見、神と人間は分離していると信じてきた。

人間が予期したのは、永い時を経て神とひとつになり、その時点で問題が解決するだろうということだ。

ほとんどの宗教は、神と人間は分離した存在であるという二元論に基づいている。

私たちの魂、神とその構成部分(体と宇宙)に関する真実を知らずに、私たちは今まで無知の荒野の中で考え、彷徨っていたのだ。

このように、これまでのすべての人生はまったく救いようが無い(悲惨だ)と考えられた。

しかし、現在、霊的な喜びに満ちた真の人生は、私たちの最も深い部分から訪れることを理解するようになった。

世界はそれを新しい理論の発見とするかもしれないが、そうではない。

宗教の名のもとに、社会は宗教戦争、派閥闘争やカースト制度に染まり、それが、真理を悟ることを難しくしてきたのだ。

次の章では、数々の困難の中で、不滅に至った高貴な魂について述べる。

彼は、ただ人間だけが神を悟り、永遠の霊的な喜びに満ちた人生を送ることができるという、神のご意志を確証した。

この世界は、運命はすでに決定されていて、それを越えるものは何も無いという前提のもとにある。

この根深い信念は今、誤りであったことが立証され、人間が永遠の命を得ることを可能にしている。

ラーマリンガスワミの生涯

ラーマリンガスワミの誕生

Birth of Vallalar ラーマリンガスワミの誕生

19世紀に、この世に新たな現象がもたらされた。マルドゥールはネイベリの南西約15キロにある小さな村で、南インド、タミールナドゥ州の亜炭(褐炭)が豊かな地域として世界的にも有名である。そこに、夫ラマイア・ピッライと妻チンナマイヤールという夫婦が住んでおり、彼らは神に献身し、特にシヴァ神(SaivaSiddhanta)を信仰していた。

ある日、ラマイア・ピッライの留守中に、サフラン色の服をまとった聖者が彼らの家にやって来た。その客は、とても温かくもてなされ、良い食事も振舞われた。この温かいもてなしに、聖者は非常に満足し、家を去るときに聖灰(ビブーティ)で夫人を祝福し、こう言った。「あなたは息子を授かるだろう。その子は、人々が永遠の命をどのように得ることができるかを伝え、全世界に恩恵をもたらすであろう。」そして、聖者は姿を消した。これは注目に値する出来事として認識されているが、そこに含まれる深遠な意味は、高い次元からでなければ理解されない。聖者から、彼女が子供を産むと聞いたその時に彼女は妊娠したのだが、この誕生の形は’sambupaksha shrishti’と称される。

誕生は5つの部分に分類されている。この世で知られているのは、これらのうち、最初の2つの部分だ。それは男女の結びつきで胎児が形作られ、次第に子供に成長し、さらに経験を積むためにこの世に生まれる。

これに反して、’sambupaksha shrishti’は、聖者が言葉を発した時点で胎児が存在する状態になるという点で異なっており、それはこの世界ではまれな現象である。時が過ぎ、妊娠期間の後、1823年10月5日、彼女は男の子を産んだ。神の恵みに祝福され、両親はこの子に愛情をふりそそぎ、慈しんで育てた。

その子はラーマリンガと名づけられた。特にインドのタミールナードゥ州では、人々はたいてい子供に神と同じ名前をつける。名前を呼ぶたびに神を思い出すという一般的な信念が、社会に普及しているのだ。これは、ある程度真実かもしれないが、重要なポイントではない。名前は、人間の死後は存続しないからだ。しかし、内なる存在(神)は、始まりも終わりもなくつねにそこに存在し、それゆえに内なる存在(神)という名前も、永遠に在り続ける。人間は、どんな名前で呼ばれようが、神が肉体として存在するもので、それは物質の体として理解されるのではなく、内なる揺るがない存在を反映するのだ。

さて、この章のテーマであるこの子供の生い立ちについて、説明をさらに進めることにしよう。ヒンドゥー教では、生まれた子を寺院に連れて行き、神の祝福を受けることが習慣となっている。この習慣にならって、両親はこの子が5カ月の時に、感謝の祈りを受けにチダンバラム寺院に連れて行った。いつものように、僧侶はカンファー(樟脳)に火を付け、至聖所の神にそれを捧げた。その光景(ナタラージャ像の前にある帳があげられてそこに置かれていた樟脳ランプの炎が揺らめいた時) があらわれるとすぐに、その子は大きな声で笑い、しばらく、興味を示してそれをじっと見ていた。

これには、重要な意味がある。物質界に住む普通の人々は、この子は恍惚を感じて笑ったと思うのだが、この子は、本当に笑ったのだろうか。いいえ、そうではない。では、これは何を示しているのか。この子が光を見るやいなや、内なる恩寵の光(Arut Jothi)の光輝さを認識したと理解するべきだ。後に彼は、いくつかの詩で、この素晴らしい経験を著わしている。

そのうちのいくつかを次に紹介しよう。

「至高の恩寵の光を感じると瞬く間に、私の中に幸福感が広がった。」「偉大な恩寵の光(Arutperunjothi)が見えると同時に、私はその甘い蜜を味わった。」この内なる光が神であることはとても自然であり、そこに熟達している者は、祝福され安らかな状態で幸せを楽しむことができる。

ラーマリンガ・スワミ 子供時代

チダンバラムの寺院での経験から、家族全員は神からの贈り物を授かった喜びに満ち溢れた。

しかし、それは長く続かなかった。突然の悲しみが家族をおそったのだ。チダンバラムから戻ってわずか1カ月後に、父親ラマイア・ピッライは息をひきとった。父の愛情のこもった言葉や抱擁を十分に受けることなく、この子は父親を失う運命を背負った。

それは、暗闇の海に放り出された船乗りのように悲惨で、母親は何をしたら良いのか全くわからず、一家の大黒柱を失い、深い哀しみに胸が張り裂けるようだった。

生計をたてるために、彼女はマルドゥールを離れ、チェンガルパッツ地方のチンナカバナンに移り住むことを決めた。そこには、彼女の母親が住んでいて、親戚の助けを得られると考えたのだ。

ある天気の良い朝、彼女は5人の子供を連れて、村を去った。数年が経ち、長男は成長し、家族を養うことを考えるようになった。チェンナイは彼がより良い職を得るために適した場所だったので、家族はチェンナイに住まいを移した。

ラーマリンガが生まれたマルドゥールの家は、それ以降、崇拝の場所として扱われている。タイプーサム(Thai Poosam)のお祭りには、人々はそこに集い、感謝の祈りをささげる。

チェンナイの慈善家(博愛主義者)であるビーラ・シュンムガナー氏や熱心な信者たちは、一般の人々が訪れることができるように、この場所を修復することに労を費やした。

教育と少年時代①

チェンナイで、長男のサバパティは偉大な学者のもとで、タミール文学を学んだ。彼は非常に努力し、裕福な人々にタミール語で宗教的な講義をするほどに成長した。その他に、家の中庭で小学生の子供たちにも授業を行った。

このように収入を得ることで、彼は家族を養い、家族は穏やかに暮らした。

ラーマリンガが5歳の時、長兄(サバパティ)はタミール文学の重要な基本原理を彼に教え始めた。

ラーマリンガは初めそれに興味を示さなかったが、サバパティはそのうちに彼が学ぶようになるだろうと考えた。しかし、その後も、ラーマリンガはいっこうに興味を示さず、代わりにチェンナイのジョージタウンにある寺、クナダコッタムに通い、自分で聖なる祈りを習得してしまった。

兄は、自分の存在が弟を素直に学ばせることができないと考えて、第三者である彼の先生にラーマリンガの教育を依頼した。タミール文学を習熟するために、兄は弟に最高の教育を与え、彼に正しい道を歩ませようとした。

それでも、ラーマリンガは学問にいっこうに興味を示さず、寺院に出かけ、ムルガン神を讃える詩を歌い、深く瞑想した。先生は彼が美しい声で歌っていたという話を耳にし、実際に彼の歌を聴いてみると、それは心温まる神への信愛(バクティ)に溢れるものばかりで、先生は心から驚嘆した。よく教育された詩人でさえもこのように歌うことはできないと先生は感じ、これは神から降り注がれたこの小さな子供への稀なるギフトであると結論を出した。

そして、「この子はすでに自分より優れている。」と言って、先生も彼を教えることをあきらめてしまった。学校教育を授けようとした試みはすべて、このように無駄に終わった。一家の長である長兄のサバパティは、弟の経歴を非常に心配し、弟を脅して学ばせようとした。弟は食事や衣服も与えられず、最終的には家から追い出されてしまった。しかし、このような過激なサバパティの行為を以ってしても、良い結果は得られなかった。

むしろ、この出来事によって、彼は完全に神とひとつになり、心の底から神を崇拝し、祈りを捧げるようになった。日々は過ぎた。彼の義理の姉は非常に愛情深い人で、この幼子の悲惨な状況をとても心配し、彼女の夫に気づかれないようにこの子の世話をした。

ある日、彼女は弟ラーマリンガに、今まで経験した困難を避け、家族みんながより幸せになれるよう、心を入れ替え長兄の話をよく聞いて勉強することを嘆願した。

愛情と母性にあふれた彼女のアドバイスが功を為し、とうとうラーマリンガは兄の希望通り、まじめに勉強することを承諾した。

そして、家の中に勉強するための彼の部屋を作ってほしいと彼女に頼んだ。彼女はそれを夫に伝え、懸命な説得の末、サバパティはそれを承諾した。

ある幸先の良い日、彼が勉強に集中できるように、二階の一部屋が用意された。

しかし、彼が好む学びは、世の中で理解されるものとは違っていた。それで、再び事態は行き詰ってしまった。

文学の本を集めたりそれに集中する代わりに、彼はプージャをするための物を集め、部屋の中でランプを灯し、その前に鏡を置いたのだ。

彼はその前に座り、ランプが輝く鏡の中のある一点に集中し、深い瞑想状態に入った。神の導きによって、ラーマリンガは、神の愛と神性を発するムルガン神の壮大なビジョンに包まれ、その空間全体がそれに巻き込まれた。

彼の体は、神聖な恍惚感で満たされ、その喜びが彼を圧倒した。そして、彼は神を讃える優美な歌の数々を歌った。ラーマリンガは、聖なる神の愛によって、能力のすべてと、奇跡やシッディ(超能力)を起こす才能を授けられた。

義理の姉は、言葉にならないほどの驚嘆と畏怖の念を起させる出来事を、陰ながら目にしていた。

教育と少年時代②

ここで、ラーマリンガの霊性を高めた経験から、彼がどのような学びを得たか注釈してみよう。それは、すでに皆が認識しているように、神はひとつであり、限りない宇宙全体のあらゆるものの内と外に永遠に存在するということだ。

しかし、神の存在の本質的な真理は、私たちの思考を超えている(思考で理解することは難しい)。それは、内側の最も深い部分で、すべてのものを受容する強力な神の愛のスピリットと共に働いているからだ。

この神の神聖な特質は、永遠に祝福された神聖な人生をおくるために、それぞれの魂の深い部分から表れるはずである。

このことは、ラーマリンガスワミの経験から理解できる。想像を超えるものが内側にあって、それは変わることなく、破壊されない。それは、魂の本質だ。経験を積み、祝福された人生をおくるために、すべての肉の体は役割を果たすために現れ、しばらくすると消えていく。

ラーマリンガは、魂だけに従って、彼の経験を積んだ。たとえ彼が子供であっても、魂が彼の住みかであり、それゆえにより深く魂に集中した。彼はこのようにして、魂が彼の指導者(先生)であることを実感し、いわゆる学者から学ぶことにはあまり興味を示さなかった。

(いわゆる)学者は至高者(神)の恩寵をほんの少ししか得られず、彼らの教えからは充分な恩恵を得られないと、彼は強く信じていた。言い換えれば、こういった学者のもとで学ぶ者たちは、赤ん坊と同様なのだ。ラーマリンガの本当の目的を知らずに、第三者たちは彼の振る舞い・態度にむしろ苛立ち、彼らの願望のためにラーマリンガを陥れようとした。

しかし、寛大にすべてを受容する神は、そうはさせなかった。神は、彼が必要なものと、彼の魂が充分に整うときを熟知し、まさにその時に、この子を包み込み、他の誰もが得ることのできないたくさんの力を授けた。こうして、ラーマリンガは学校にも行かず、外側の世界からの指導者(グル)も持たなかったことを、世に知らしめることになった。

彼によると、教育とは「不死を手に入れる能力と永遠に生きること」を意味する。

いまだに、知識を得ることが主なテーマであり、無学はなるべく早いうちに拭い去るべきだという一般概念があることを私たちは知っている。人間が、この聖者の教えに完全に従い目覚めなければ、政治的・文化的・社会的出来事に平和は訪れない。

この世界は、人間の富・快楽・力のために狂気を増長させる方向に向かっていて、これが戦争と悲惨な出来事・苦悩を招き、すべてが破壊するという差し迫った危険は避けられないだろう。このような状況の中で、この章は全世界が目を覚ますものとなるだろう。では、次の章を少し覗いてみることにしましょう。

青年時代

長兄のサバパティは、タミール文学を雄弁に語ることができたので、裕福な人々の要望に答えて、彼らの家で講義をした。

これにより、彼はいくらかの報酬を得て、家族は安心して暮らした。

また、サバパティは、チェンナイのある裕福な人物と契約を結び、ペリアプラーナム(12巻からなるシヴァ神の聖歌)の一連の講義をすることになった。

数日は順調に進んだが、ある日、彼は高熱を出し講義を続けられなくなった。彼はどうしたらよいかわからず困惑し、同時に、主催者と聴衆をがっかりさせたくないと思った。

彼の妻は、幼い弟の才能を知りつつ、誰にもそれを明らかにしていなかったが、彼女は夫に、弟をその場所に行かせ、契約を果たすように願い出た。

兄は弟の能力をまったく知らなかったので、初めは彼女の要望を拒んだ。しかし、他に選択肢が無かったので、最終的に、彼は弟を自分の代わりにその場に行かせることに同意した。彼は弟を呼び、聴衆の前で1節2節を読むことと、主催者に兄が契約を果たせないことを詫びるように頼んだ。

説教の場で、ラーマリンガが、兄が急病で講義ができないことを伝えると、主催者は非常に落胆した。その頃には、ホールに人が大勢集まっていた。聴衆の動揺を避けるため、また、他に誰も講義ができる者がいなかったので、主催者は、しぶしぶこの少年に何か話すように頼んだ。少年は聴衆の前に座り、講義を始めた。講義の題目は質が高く、優秀な人だけが扱える内容だったので、聴衆はこの年若い少年が何を話し始めるのか、見守っていた。

ペリアプラーナムの最初の言葉ウラゲラム(Ulagelam)の説明から始まり、言葉は川の流れのように、彼の口からほとばしり出た。

聴衆は静まり返り、誰もが、この年若い少年の類いまれなる雄弁さに驚嘆した。

その場にいたすべての人々が、彼は天の賜物だと感じた。

真夜中になっても、はじめの1節の2行の説明さえ終わっていなかった。

一つの言葉の説明が滝のように流れ出るからだ。

しかし、講義が真夜中に及んでいることに抗議するものは、ひとりもいなかった。参加者全員から、講義はこの少年によってされるべきだという一致した意見が出され、主催者もそれに同意し、すぐにサバパティにその旨が伝えられた。

サバパティは、ラーマリンガによる講義を懇願する意見が多いことを聞いて、非常に動揺した。彼の良心は痛み、どうして学校にも行かない弟がこのような素晴らしい講義ができるのか、疑問に思った。しかし、彼はラーマリンガが講義を続けることを許した。

実は、サバパティは、誰にも知られないように(弟にも気づかれないように)ホールの片隅で、彼の講義を聞いていたのだ。

はじめ、彼は夢を見ていると思った。しかし、これは夢ではなく現実なのだと、彼は思った。この講義は、他の誰でもない弟のラーマリンガによってなされていた。

家に戻ると、彼は、ラーマリンガをより理解していた、最愛の妻にすべてを順序だてて話した。そしてふたりは、ラーマリンガはただ単なる少年ではなく、神の聖なる愛で最高に満たされた神の代理人であるという結論に達した。ラーマリンガは、講義が済むと、家に帰った。

サバパティは、ラーマリンガに対するすべての無礼な行為をとても後悔し、また、申し訳なく思い、弟を優しく抱擁し、今まで彼が与えた困難の数々を許してほしいと頼んだ。

ラーマリンガは、兄から与えられた困難など知らなかったかのように静かにたたずみ、穏やかに神の愛の流れに漂うように、心の中で神を讃えていた。このように、長いドラマの最初の場面は、めでたく終わりを迎えることになった。

この話は近所のあらゆる場所に瞬く間に広がり、人々は、彼を一目見ようと、また、彼の口から発せられる聖なる声を聞こうと、集まってきた。それは、美しい花の甘い香りに魅せられて集まるハチのようであった。

著名な学者や宗教指導者たちは、彼の生徒や弟子になった。トズブール(Thozuvur)のベーラユダ・ムダリアー(Velayudah Mudaliar)はチェンナイ大学の大学長で、タミール文学の代表であったが、彼の最初の入門者となった。他の数人もそれに続き、彼らは彼を「ラーマリンガ・アディガラール(Ramalinnga Adigalar)」と呼んだ。

ラーマリンガは、チェンナイから8kmほどのティルボッティユールに行き、そこで祀られている神に祈りを捧げる事が、日常的な活動になった。これに加えて、彼は神を讃える詩の数々を印刷し、後にこれらは弟子たちによって1巻に編集され、人々に示されるようになった。講義や、神に捧げる詩を歌うことの他に、彼に会いに来た人々に、深い瞑想だけが正しい答えを導くことを示し、彼らの疑念を晴らした。

彼は、チェンナイの南部地方のすべての寺院に巡礼し、彼が行ったすべての場所で、祀られている神を歌によって讃えた。これらの詩は数千にもおよび、すべての詩は2巻に編集され、のちに、世に出ることになった。

最終的に彼は、ネリベリから10kmほどの村、カルングリに落ち着いた。そこで9年を過ごした。

「ティル・アルッパ(Thiru Arutpa)」は、数千の詩・いくつかの散文・弟子たちへの返事として書かれた手紙・散文で書かれた神への祈りで構成されており、2巻に印刷され、一般に公開されるようになった。

ラーマリンガが後に経験したすべてが詳しく記載されているのは、この2巻目の書物だけという点で、それは非常に重要である。すべての詩の中でも、「Arul Vilakkamalaio (神の愛を述べた花の輪)」と「Anubava Malai(経験の花の輪)」は、それぞれ100編以上の詩を含み、チィル・アルッパ(Thiru Arutpa)に無くてはならない部分だと考えられている。

シッディワラガ

Siddhi Valagam – Disappearance シッディワラガ寺院―姿を消すこと

このアシュラム(シッディワラガ寺院)は、ビシュヌ派の指導者が滞在するために、村人たちによって建てられた、と言われている。しかし、後に、ラーマリンガが使うために充てられました。

その頃、南インドでは、指導者たちを目覚めさせ、すべてのカーストの人々と信仰を一体化することが、とても必要な時期であった。そして、一般の人々の間にも、簡潔な悟りを促す文献から、宗教や霊的な何かを明らかにしたいという、あふれる欲求があった。

ラーマリンガは、注目に値する方法で再生を始めた。彼が教えた哲学を広めたのだ。彼の詩や散文は、とても簡潔で生き生きとしていて、一般人でさえも、特別な知識を持たずに理解できる。彼の布教の精神は、神への祈りの言葉の中に、より反映されている。

「私は、世界のありとあらゆる場所に行き、あなた(神)の名を神聖にする。」

同胞への奉仕は、彼にとって最高に重要なモットーである。

彼は、学者たちが議論する宗教や、儀式に重きを置く正統派の人々の宗教を、ひどく嫌った。

彼の書、Arul vilakka Malai の中で、’Kallarkum Katravarkum Kalippu arulum kalippe’ 、すなわち「神は、大衆にも、悟りを得た者にも、等しく祝福を与える。」と著わしている。

ラーマリンガ・スワミは、地球での彼の人生の目的を明確に把握し、彼の理想を簡潔に明確に残している。

それは、思考と行為の調和を欠いている世俗的な人々の生き方を、正すことだった。

彼の熱い望みは、いまここに存在する神に達するために、「サンマルガ・サンガム(Sanmarga sangam)」に彼らを参加させることだった。

ラーマリンガ・スワミはまた、神はこの目的のために彼を遣わした、と明言した。彼がワダルールに建てた、永遠の奉仕のためのサンクチュアリ(神聖な場所)は、彼の奉仕のモニュメントである。しかし、現在はまだ、人々はそのことを認識していない。時間の経過とともに、人々が彼の期待に沿い、真理に従うことが望まれる。

ラーマリンガ・スワミは、神の愛の道に、世界中の人々を導きたいと願った。それは、あらゆる暴力・乱暴から自由になることだ。彼は、講義・エッセイ・心が和む詩・美しい歌を通して、そのメッセージを伝え、世界中の人間同士の関係、そして世界中の人間と生物との関係に、「世界的兄弟愛」を主張した。

そのどちらの関係も、伝道する主な目標として心に抱いていた。彼は、宗教は万人に理解されるものであることと、宗教は霊的に人々を成長させるものであることを主張した。それは、神が定めたように、すべての宗教がひとつになることを意味していて、彼はそれを目指した。お互いに異なっている部分は脇に置き、心地よい関係を育て、友好的平和的に暮らすことを、人々に強く勧めたのだ。

彼は、みんなは同じである、すべてはひとつである、と全人類に明快な呼びかけをした。それは、まさに、カースト・信念・信仰・宗教の違いという妄想から解放されることだ。彼の作品の数々は、この頃から活力やひらめきを高め、人々はタミール文学における彼の作品の素晴らしさを認識するようになった。

一夜にして書かれたと言われる
1596行からなる有名な詩
「アルッペルンジョーティ・アガバル」

この期間に、ラーマリンガ・スワミは、1596行からなる有名な「アルッペルンジョーティ・アガバル(Arutperunjothi Agval)」を書いたのだが、そのすべての詩は、一夜にして書かれたと言われている。それは、「ティル アルッパ〈神聖な名〉(Thiru Arutpa)」の最高部分(クラウン)と称されている。

すべての公の式典で、「アルッペルンジョーティ・アガバル(Arutperunjothi Agval)」を声をそろえて朗読することが、彼の信者たちの習慣になった。

また、ひとりで朗読されることもあった。いずれにしても、この詩を朗読した後、数日間はすべての悪が消え去るという強い信仰がある。

ありがたいことに、詩の朗読で文法的な間違いをする者はひとりもいなかった。19世紀になって、インド人は印刷技術を確立し、多くのタミール文学作品を印刷できるようになった。印刷された本の価格は、パルミラヤシの葉に手書きされたものより安く、貧しい人々も安い値段で本を買うことができるようになった。これは、人々に教育と文学を広める大きな助けとなった。

これらの要因から、信者たちは「ティル アルッパ〈神聖な名〉(Thiru Arutpa)」の朗読表現において、良い評価を受けるようになった。

作品の朗読という点で、信者たちはそれほど上達していないが、彼らの心深くに作品が浸透してきたことは、良い兆しである。

最後の日々、ラーマリンガはまったく食べ物を口にしなかったと言われている。それでも、彼は若い頃のように、忙しく働いた。

ある写真家は、彼の写真を撮ろうとがんばっていたが、その試みが成功することはなかった。これは、物質の身体の彼は見えてはいたが、彼の身体はすでに変化を遂げていたことを明らかに証明している。

それは、物質主義者には理解できないことだろうが。。。

この現象について、これから考察してみよう。

【体は3つに分類される】

①グロスボディ(粗大な身体:肉体)

②サトルボディ(微細な身体)

③コーザルボディ(原因の身体)

最後のひとつは、他のふたつの基礎となり、この聖者の場合は3つでひとつ(三位一体)である。

聖者の言葉を借りると、「スリー ディガ シッディ(Three Diga Siddhi)」と言う。

それによって、物質の身体は純粋な知恵の形に変化し、神の務めを執り行うことができる。つまり、創造・保護(維持)・破壊・神が覆い隠されること・至福(隠されていた神が明らかになる)の5つの行為をすべて管理することができる。永遠に生きることを得て、彼は何篇かの詩にそれを書いた。以下にそれらの詩を紹介しよう。

「私は、神の長男である。」

「私は、神の愛(恩寵)の王権を与えられ、それゆえに、永遠に宇宙を統治する。」

「神よ、今日、あなたは私と共にあることを示し、私はあなたの中にいることを示した。こうして、私の苦しみを拭い去り、私に幸福を与えた。」

「私の王よ、神よ、母よ、父よ、すべてはひとつである。あなたは、内なるすべてのベールを取り去り、それまで知らなかったことを明らかにしてくださった。そして、神の愛の偉大な知的空間で素晴らしい経験を与えてくださった。それは、私の至福となった。私はあなたに身を寄せる。」など

別の節では、神の愛の経験を通して、「すべての義務を果たす力」を与えられ、彼の望みを成就させてくださった神に身を寄せる、と彼は述べている。

ラーマリンガ・スワミの最後の日

ラーマリンガ・スワミは部屋に灯されていたランプを取り出し外に置き、信者たちに次のように指示した。

「このランプを、神として崇拝しなさい。そして、すべての生き物に対して、愛と優しさの道を歩みなさい。そうすれば、私が得た悟りを手にいれるだろう。」

そして、彼は、使っていた部屋に内側から鍵をかけ、誰もその部屋を開けてはならないと述べた。さらに、もし、政府や行政が部屋を開けるように言い張ったら、次のように彼の願いを伝えて説得するよう付け加えた。

「部屋が開けられる時、その部屋には誰もいないだろう。まさにその瞬間から、私は、すべての人の魂に入り、神の愛の正しい道に人々を導くだろう。」と。

この発言は、後に事実だと証明された。

この出来事は、1874年1月30日の真夜中に起こり、この聖者が示した教えは、彼の信者たちによって今もなお熱心に実行されている。

聖者がいなくなったというデマが、近所のあちらこちらに広まった。

聖者が予言したとおりに、そのニュースは政府に届き、南アルコットの県長官が、医者や他の役人たちを連れて、その場に駆け込んできた。

医者は部屋を一回りし、カンファー(樟脳)の香りがして驚いた。彼は、腐った身体の不快な臭いを予測していたからだ。

県長官は、医者による検証の結果を知らされたが、自ら事実を突き止めようと骨を折った。部屋を一回りし、医者の報告と同じ香りをかいだ結果、最終的に、不審に思われるような犯罪は無かったという結論に達した。

県長官は、その場に集まった信者たちから、どんなことが為されていたのか調査した。彼らは、聖者が消えたときに残した彼のメッセージを県長官に伝えた。

県長官は、この偉大な聖者の最後の願いに充分敬意を示し、信者たちの協力のおかげで調査が滞りなく済んだことに対し、20ルピーの寄付を申し出て、本部に帰って行った。

1878年、南アルコット新聞に、南アルコットの県長官であるガーステイン氏(J.H.Garstein)が、聖者が姿を消した記事を書いたのだが、彼がその事実に注目したことは、人々の関心をひくだろう。そのうちのいくつかを、以下に抜粋する。

「ラーマリンガは1823年、質素な家庭に生まれた。彼が少年の時に、優れた才能を発揮し、彼の詩の数々は大衆を魅了した。それらの詩は、宗教的な事柄を解決した。。。。。。」

「ワダルールの集落パーバチプラムから見える、ドーム型の屋根で興味をそそる八角形型の建物(sabha)は、およそ1872年、寄付金によって彼が建てたものだ。」

「1874年、彼は、サマーディーや壮大な瞑想に使っていたメットゥクッパム(カラングリの集落)の部屋に、(まだ彼が存在している時に)彼自身を閉じ込めた。そして、弟子たちにしばらく部屋を開けないように指示をした。その後、彼は姿を消し、部屋はいまだに鍵をかけられたままだ。彼を信仰する者たちは、彼は奇跡的に神に創られた存在で、時が満ちた時に忠実な信者の前に再び姿を現すだろうと、考えている。」

ラーマリンガ・スワミが姿を消した後

1906年、ICSのフランシス氏(W. Francis)は、南アルコット新聞で以下のように意見を述べている。

「パーバチプラム=ビルダーチャラム通り沿いのカッダロールの南西23マイルにある住民1189人の村は、ラーマリンガの楽園と関係がある。そこに信者たちが神格化した聖者が晩年住んでいた。」

聖者は、彼の信者たちが彼の教えに素直に従わないことを知って苦しみ、北や西から人々が彼の教えを実行するために訪れることを、しばしば話した。また信者たちの心が変化して、彼の教えに沿うよになることを望んでいると、よく信者たちに話した。

そして、彼の話していたことは現実となった。

ロシアのマダム・ブラバスキーとアメリカのオールコット大佐は、後にその場所を訪れ、チェンナイのアディヤールに神智学協会を作った。

そこで、彼らは聖者の教えをある程度まで大衆に教えた。

イギリスのレディー・アニー・ベサント(レディーは、イギリスの女性の貴族に対する尊称)は、それらを引き継ぎ、数年聖者のメッセージを遂行した。

その後、彼らの後継者たちは、聖者の教えに強い関心を示さなかったので、その場所は近代美術文化の学校に変えられている。

聖者がすでに指摘したように、内側の最も深い部分から得る経験に話題を移すことにしよう。

タミール語でシッディワラガは、身体の内側の魂が存在する部分を意味し、それは偉業・功績を生みだすもとである、と言われている。

シッディワラガの辺りでは、悟った者は、カンファー(樟脳)の甘い香りをかぎ、聖者のビジョンが見えると言われている。しかし、それは稀である。

彼は、ある詩のなかで、彼の身体中に甘い香りが充満して、至高の神と共にそれが広く行き渡っている、と述べている。このことから、もし甘い香りが香っていなければ、聖者のビジョンだけでは価値がないことを察することができる。

これらの事実が組み合わさって、この地域に聖者が存在したことを証明できる。タイプーサムの3日目、人々は彼が姿を消した部屋を一目見ようと、この場所を訪ねたものだ。

人々からアルット・セルバ(Arut Selvar)の敬称で呼ばれるマハリンガム博士(Dr.N.Mahalingam)は、少し離れた距離からも、人々が光(Jothi)を見れるように、ドームを高くし、光(Jothi)の前にホールがある建物を建てた。彼が自身の資金によってこれを建てたことは、注目に値する。それは、1985年のことだった。

苦労して、毎月プーサムの日、彼は著名な学者による一連の講義を準備し、こうしてこの場所の雰囲気が一新する。

次の章では、聖者の教えをできるだけ完璧に要約することにしよう。

奇跡の数々

Miracles by Vallalar(Swami Ramalingam) ラーマリンガの奇跡の数々

私たちは、すでにラーマリンガの人生でなされた奇跡的な出来事を論じてきた。

たとえば、水でオイルランプを灯したり、

群衆が少しでも近くで彼を見る事ができるように、数か所に分身して現れたり、

距離に関係なく同じように聞こえるように一定の声で話したり、など。

これらのいくつかは、彼の状態の変化(トランスフォーメーション)によるものかもしれない。

奇跡は、彼の身体の変化と、不死を手に入れたことにつながりがあることは、すでに説明した。

この章では、彼の奇跡の数々を取り上げることにしよう。

それらは、人智を超えた彼の身体の変化に関連しているかどうか判断しにくいが、彼が起こした奇跡は神によって為されたものである。

これらの奇跡は、魔術(オカルト)の類ではなく、神の意志に調和した彼の超能力の表れなので、ヨガを追究する者が避ける必要はない。

これらの奇跡は、異なる時期に為されている。

彼の若年期に、マドラスやその郊外ティルボッティユールで為されたものもあれば、

1858年から1867年の間のカルングリでの奇跡、

1867年から1870年のワダルール、

そして1870年から1874年のメットゥクッパムでの奇跡がある。

これらは、この章で年代順には示されていません。

奇跡のカテゴリーに含まれないものもいくつかあるが、それらは人間的、超人的な両方の面で、人間や事柄について論じたスワミの性質を描写する出来事である。

神は人智を超えたところで働くのと同じように、人間のレベルでも役割を果たす。

スワミは人間でもあり、同時に人間を超えた存在でもある。

彼の人間としての振る舞いは、時にはより良く理解され、感謝される。

奇跡は、神聖な力が生じ、神の役割を果たすことなので、スワミは奇跡を起こすことについて、反対ではなかった。

しかし、奇跡を利用したくなかった。

彼の波瀾万丈な人生は、さまざまな種類の神聖な奇跡でちりばめられていた。

彼は晩年、神がもうすぐ地上にやってきて統治し、死からの復活や若返りなどの奇跡を起こすことを約束した。

こうして、スワミは、若年期から、地上の人々の進化的目的のために究極の犠牲を払い、身体を非物質化して彼の人生が終わる時まで、見事なまでの詩を書き続け、奇跡の数々を起こし、着実に成長して神になった。

奇跡の数々(1)~(64)

(1)水銀(液体)をビーズ(固形)に変える

ある奇術師がシッダ(到達者:瞑想により我執を超越した者、またはそれによりシッディという特殊な能力を持つに至った者)であるスワミを訪ね、水銀をビーズに変えるように願い出た。スワミは手のひらのくぼみに少しの水銀を注ぎ、しばらく閉じた後、水銀のビーズを落とした。

(2)突然の客に食事をふるまう

ある夜、ダルムシャーラ(巡礼宿)で限られた人数の食事が調理されていた。食事が出されている時に、突然、約100人の客がやって来た。食事を仕切っていたシャンムカ・ピッライは、スワミに、すべての人に食事をふるまうほど食べ物は十分でないと報告した。スワミは、すぐに「ピッ(pich)」と声をはりあげた。これは、スワミが奇跡を行う時の特徴的な叫び声で、考えようによっては子供の遊びのようだが、それで不可能なことはひとつも無く、必要を満たすための神聖な祝福が得られた。タミール語でスワミの伝記を書いたオーラン・アディガルによると、「ピッ(pich)」はピクチュ(Pichchu)に由来するピクチャン(Pichchan:神の名前)の短縮形である。神は、思いやりのある子供(ピンジュ・ピッライPinju Pillaiかピクチュ・ピッライPichchu Pillai)が遊ぶかのように優しく、あるいは神の偉大な力をふりしぼるかのように激しく(ピクチュPichchuかピッツチュPiththu)、説明ができないほど奇跡的な方法で奇跡を起こすことを付け加えてもいいだろう。このように、「ピッ」の叫び声で、客の食事を調達するように神に頼んだ。スワミは、彼自身の手で食事を配った。すべての人がぜいたくに食事を取った後もなお、食べ物はまだ残っていた。

(3)米の供給を予告する

ある日、ダルムシャーラ(巡礼宿)の管理人であるシャンムカ・ピッライは、スワミに料理するための米が無いことを伝えた。スワミは、その場に座り、数秒集中した後、米や他の必要な食料は翌日届くと断言した。すると、まさしく翌日、ティルッチュライ村からある信奉者が荷車3台分の米と他の食料を運んできた。そして、彼は、その前の夜、食べ物を運ぶように頼まれた夢を見た、と話した。

(4)雨で日照りを解消したラーマリンガスワミ

 夏季の4月、ワダルールのダルムシャーラ(巡礼宿)に、暑さと干ばつに苦しむ人々が多勢やってきた。スワミはそれを知り、彼らに、スワミの足に水差しの水をかけるように言った。信者たちがそうすると、たちまち激しい雨が降り始めた。プドゥペッタ(Pudupet:クダルールCuddalurの近く)の村の信者たちがそれを聞き、ワダルールにやってきて、スワミの神の恩寵を懇願した。彼らの村のすべての井戸も干上がって、雨を待ちこがれていたからだ。スワミは、彼らに、彼の頭に6杯の壺の水をかけるように言った。彼らがそうすると、すぐさま大雨が降り、干上がっていた6つの井戸の泉がよみがえり、新鮮で美味しい水が供給できるようになった。このようにして、村は、人々のくらしと活動を繁栄させる恵みの雨を得る事ができた。

(5)乾いた土地を潤いのある土地に変えたラーマリンガスワミ

 スワミの親族に、ムルゲサ・ピッライという税務官(所得税を管理する)がいた。彼は、行政に対して、彼の乾いた土地を潤すための陳情(たぶん、灌漑設備の整備)を数回試みたが、すべて失敗に終わっていた。彼は、スワミに神の恩寵を懇願し、聖灰の祝福を受けた。それ以来、乾いた土地は、潤いのある土地に変化した。

(6)火事を鎮めたラーマリンガスワミ

クリンジパディ近くのプドゥペッタで、ある家が火事になった。スワミは、その時、偶然反対側の家に居て、彼の布を振ると火事はすぐに鎮まった。

(7)雨が降っても濡れなかったラーマリンガスワミ

   ある夜、スワミが信者たちと散歩に出かけた時、突然、雨が降り始めた。みんな、スワミが雨で濡れると思ったが、彼の身体には一滴の雨のあとも無かった。

(8)燃える火でやけどをしないラーマリンガスワミ

メットゥクッパムのシッディワラガ寺院の小屋で、スワミは両側にコークス(石炭を蒸し焼きして炭素部分だけを残した燃料)が入った鉄のボウルを置き、火を灯していた。スワミは、両側の火と火の間に座った。(彼の直弟子で、伝記作家のカンダサミー・ピッライは、次のように書いている。「おそらくスワミは、ユニークで特別な身体で、普通の人には耐えられないほどの熱い火を、このように楽しみたかったのだろう。」)ある日、スワミの信者で、サティヤ・ニャーナ・サバイ寺院のサバパティ・シヴァチャリヤという僧侶が、スワミの部屋に期せずして突然入ってきて、燃えているコークスを足で蹴ってしまった。コークスはあちこちに広がり、それはスワミや彼自身にも当たった。僧侶は心配して、急いでスワミの太ももに落ちた燃えているコークスを手で払った。彼の両手はやけどを負った。しかし、スワミの身体には何の影響も無く、服にも焼け跡さえ残らなかった。スワミは彼に、「なぜ、あなたは心配しているのか?どうであれ、火は私に何の影響も及ぼさない。」と言った。

(9)写真に写らなかったラーマリンガスワミ

   一度、スワミの何人かの信者たちは、スワミの写真を撮るために、マドラスからマシラマニ・ムッダリアという有名な写真家を連れてきた。彼は8回試みたが、毎回、写真のネガには、スワミの白い服が写るだけで、彼の身体は写らなかった。

  注:変化したスワミの身体は、内外から聖なる光で満たされるようになった。

(10)ラーマリンガスワミの粘土の像

パンルッティ村のある陶芸家が、スワミが写真に写らなかったことを聞いた。

彼は、スワミの信者だったので、スワミの像を粘土で作り、色をつけた。彼は、スワミにそれを差し出した。

スワミは、「金色の身体が泥の身体になってしまった。」と言って(スワミは、この粘土の像は、シッディの金色の身体と正反対だと感じたようだ。)、それを落とし、粉々に割ってしまった。

注釈:現在使われているスワミの絵は、マドラスのティルボッティユ・マットで使われた油絵である。

この二つの出来事(スワミが写真に写らなかったこと、像を壊したこと)から、彼の像や写真を保存し、それを崇拝することに、スワミが反対だったと推論するのは妥当ではない。

これらは、むしろスワミの身体が次元を超えて三重に変化し、物質的な限られた特定の状態では、彼を捉えられないということを指摘している。

スワミが、粘土像を落としたのは、(心理的な反応というよりは)変化した金色の身体のイオン反応の結果だと思われる。

おそらく、彼には、粘土像は、無限な不死の金色の肉体をまねて、人の興味をそそるように誇張されたものだと思えたのだろう。

スワミは、ブラフマ・サマージ(Brahma Samaj)の信奉者たちと、神はただ無形のブラフマンであると同時に、有形でもある、ということについて議論してきた。

彼は、ワダルールの街とメットゥクッパム村で、信者や弟子たちが礼拝するために、ランプに火を灯した。

ランプの火や光は、有形なのだが、それを有形と無形の中間とみなす人もいる。

アルッパ(Arutpa)の詩によると、神は、有形の神(クリシュナ・シヴァなど)、有形の神と無形の神の中間、そして無形の神(ブラフマン)で、それらは同時に存在する。

スワミが、彼の像や写真を信者たちの礼拝のために残さなかったのは、むしろ次のようなことを気づかせたかったからだ。

スワミや神(有形の神、有形の神と無形の神の中間、そして無形の神)に祈る習慣に囚われて、その状況から抜け出せなくなってはいけない。

ひとりひとりが、それぞれの性質や能力(成長段階)に応じて、有形の神、有形の神と無形の神の中間、そして無形の神、(どんな状態の神であっても)神としてとらえ霊的に成長するべきだ。それを受け入れないと、自分自身の可能性を狭めるだけでなく、神の恩寵も限られる。どんな状態の神を神として礼拝しても、神の恩寵は等しく与えられ、気づきを促す出来事や霊的成長の状態が訪れる。

無形の神は、有形の神を支えているが、私たちはまた、次のような事実を認めなければならない。

それは、スワミの姿は信者たちの視覚で捉えられたのと同じように、スワミは彼の無形の存在を感じていた、ということだ。

スワミは、最高の神・神の光・至福と神の恩寵を目標にして、神を崇拝することを執拗に促した。

そして神の象徴として、ワダルールの街とメットゥクッパム村の寺院にランプの火が灯された。

人間であるがゆえに、私たちは、人間の形をしたグルや教祖(Mahant)・アバター(Avatar)を、無意識に盲目的に慕うという過ちを起こしがちだ。

そして、正しい態度・振る舞いについてとか、どのように神に近づいたらよいのか助言を仰ぎ、それに縛られる傾向がある。

スワミが物質の身体であっても、寺院のランプの聖なる光であっても、どこのランプの光であっても、それらは神の現れだと考えられ、それは、有形の神、有形の神と無形の神の中間、そして無形の神が同時に存在する完全な神を捉えられるように導くだろう。

さらに、スワミが晩年、無限で不死の金色の身体を非物質化したことを、覚えている人もいるかもしれない。

アルッペルンジョーティを唱えるキルタン(keertan:物語を通して霊的な教えを施す音楽)メイ・アルル・ビャップ(Mei Arul Vyappu)によると、彼の身体は、充分に増大して、輝く金色の山のようになった。

この非物質化の目的は、宇宙に存在するすべての体の中に入ることだった。

彼の身体が、不死の肉体として見えていたからと言って、それは彼の繊細な物質的存在以外の物質的存在すべての真相ではなかった。

無限の物質的存在は、物質の身体を伴って、その内外に同一に広がっていき、金色の光を放つ輝く不死の状態になった。

そして、その無限の物質的存在は、物質的な衣をまとった地球の自然の中で、彼の身体を永遠に物質的に支える基礎として役目を果たした。

そんなわけで、彼の物質的身体の真実のすべてを、写真や像では適切に表わすことはできなかったのだ。

スワミが、写真家に写真を撮らせることや、画家に絵を描かせることを許した事実が残っている。

それは、彼が、弟子たちのために、彼の姿を残すことに反対ではなかった、ということを示している。しかし、輝く聖なる身体は、写真として彼の姿を表現することを受け入れなかった、ということだ。

それは別にして、スワミは、心理的に判断して、彼自身の姿や像に祈ることをやめさせた。

その代わりに、追究する目標として、神の無限の恩寵の光、最高の神をかたくなに守り続け、神聖なランプの光を神として表わし、彼自身で火を灯した。

これは、神に敬意を示すために必要だった。なぜなら、スワミは、弟子や信者たちにも、この恩寵の光とそのマントラを通して、脇にそれることなく、聖なる恩寵の光を世界中に明らかにすることを目指してほしいと願ったからだ。

彼の意志にそって、スワミは、宇宙に存在するあらゆる物質の体に入り影響を及ぼすために、金色の肉体を作ったように思える。

それは自然を見れば理解できる。彼の身体を構成していた物質は、非物質化されて拡散し、彼の身体や姿の痕跡を残さず、同時に、実体のない方法で、宇宙になった。

身体を非物質化して宇宙のすべての中に入ったのは、信者たちが彼の金色の身体だけを崇拝していたからで、それを正すために彼は無形の宇宙になったのだ。

しかし、彼は物質の身体以外のものをまとい、彼の魂やスピリットが、ビジョンとして映し出されて肉体をまとっているように見えていたのであって、それは、無形の存在でも無く、5つのコーシャであるアーナンダマヤ・コーシャ(歓喜のさや)、ヴィグノーマヤ・コーシャ(知恵のさや)、マノーマヤ・コーシャ(心のさや)、プラーナマヤ・コーシャ(プラーナのさや)そして最も物質である地球に近いアンママヤ・コーシャ(食べ物のさや)とも別のものである。

彼は今も無形で、無限の不死の物質的な存在としてとどまっていて、必要な時に、また新しい聖なる身体にその力を携えて宿るのだ。

今回のお話しは、ラーマリンガ・スワミの特殊な身体についてでしたが翻訳者の方が本当に大変で英語のネイティブなアメリカ人や友人からタミール人にまで色々調べて頂いたようです。ありがとうございました。私は、単にラーマリンガ・スワミの身体というのは『精妙な身体』としか捉えていなかったのですがいろいろと秘密があるようです。

(11)ワダルールで行われた「チダンバラム ダルシャン」

それは、スワミと共にチダンバラム寺院の重要な祭りに行くために、地方からワダルールの町に来た信者たちになされたことだった。

信者たちは祭りの前に来て、スワミと一緒にチダンバラム寺院に発つのを待っていた。

祭りが近付くと、ほとんどの人がチダンバラム寺院に向けて出発したが、スワミが出かける気配は全くなかった。

数人だけが残って、祭りの当日、スワミが出かけることを願っていたが、彼は当日になっても、ワダルールの街を発たなかった。

信者たちは、チダンバラム寺院の本尊の踊るシヴァ神であるナタラージャ像を見るチャンスを逃したことを、とても悲しんだ。

スワミは、信者たちの哀しみを察し、彼らに、「この場所で、チダンバラム寺院のダルシャンに参加できる。少し待っていなさい。」と言った。

そして、スクリーンの布をダルムシャーラ(巡礼宿)の建物の一部に掛け、信者たちに部屋の中に入って、スクリーンを見るように言った。

彼らは、幕の近くまで行き、特別な「チダンバラム ダルシャン」=踊るシヴァ神を見て、非常に大喜びした。

(12)火の柱

ときどき、スワミは、昼間、日光浴をすることがあったのだが、その時、ダルムシャーラ(巡礼宿)の信者たちは、彼の座っている場所から太陽に向かって、火の柱(agni sthambha)が立っているのをよく目にしたものだ。

(13)水銀の化合物が火に持ちこたえる

スワミは、タンジョールの街で作られた非常に高品質のサカラトゥ・パーダラクシャ(Sakalath Padaraksha)と呼ばれるサンダルを履いていた。

彼は、「もし、水銀と硫黄の化合物を含むサンダルをシュッダ・デーハ(純粋な身体の完全な人)が履くと、それは溶けずに火の熱に耐えるものになる。」と言った。

サバパティという信者である僧侶が、スワミのために、4トウラ(インドの重量単位)の水銀化合物を含む、特別なサンダルを用意した。

彼の要望に答えて、スワミがそのサンダルを15日間履くと、後に水銀化合物はサンダルから取り除かれ、サンダルは火の熱に耐え、少しの変化も無いことが観察された。

(水銀は、500度以上の高温で熱せられると揮発する)

(13-A)銀のルピーがスワミの手の中で溶けた

ある日、太陽を崇拝する二人のブラーミンが、ビシャカパトナムの町からやって来た。

彼らは、シャーストラ(ヒンドゥー教の聖典)に書かれた行法や、手の中で鉄・銀・金などの金属を溶かす行法が書かれたアパラ・マルガ・シッディや、太陽のように空間を移動する行法が書かれたパラ・マルガ・シッディの訓練をを行っても、その能力が得られない、とスワミに話した。

スワミは、ルピー銀貨を手に取り、数分握ると、銀貨は溶けて、銀としてこぼれ落ちた。

(14)影がうつらない身体

ある日、スワミは、カダロールの町のアイヤサミー・ピッライという信者と一緒に、日を浴びて立っていた。

スワミは、彼に「シュッダ・ニャーニのしるしは何か?」と尋ねた。

信者は、答えられず、黙っていた。すると、スワミは、シュッダ・ニャーニの身体には、影ができないと、彼に話した。

スワミの身体の影が地面にうつらないことは、こうして知られるようになった。

このことは、シュッダ・サティヤ・ニャーナ=純粋な心理意識や、シッディ(Siddhi)あるいは完璧な三重の身体を認識した者の栄光を証明している。

(15)未来のグルのしるし

カダロールの町のデーヴァナヤカム・ピッライは、ヨギである彼の父親の望みに従って、スワミの信者になった。

彼の父が亡くなるときに、次のように息子に言い残した。「頭巾をかぶり、杖を手に持つ人がやって来る。彼は、墓でその杖を打ち、『これはあなたのお父さんの墓ですか。』と尋ねるだろう。その人の弟子になりなさい。」と。

このヨギの死の3年後、スワミはカダロールの町のデーヴァナヤカム氏の家を訪れ、墓で杖を打ち、「これはあなたのお父さんの墓ですか。」と尋ねた。

息子は、そうだと答え、スワミをグルとした。

注:カダロールはワダルールから25㎞ほどの町で、スワミはよく講義をするためにそこを訪れた。

(16)錬金術

デバナカヤム氏(前の章に出てきた)は、金属を金に変える錬金術を熱心に学んでいた。

スワミは、彼を正しい道に導きたいと思っていた。

はじめに、錬金術の方法を彼に見せた。

スワミは、鉄の板をハーブと混ぜて、固めた牛の糞でそれを熱し、16金の金に変えた。

そして、その金を放り投げて、彼に助言した。

「執着のない者だけが、この知識を得ることができる。錬金術を追究するのを、やめなさい。」

スワミは、物質的に化学変化を起こさせる方法だけでなく、マントラやタントラを使う神秘的な方法、その両方を一緒に組み合わせた方法(ラサバダ(Rasavada)の彼の教え)での錬金術の一連の工程を知っていた。

化学変化を起こさせる方法は、ハーブを使って、金属ごとに異なるガスの熱を使う。

しかし、スワミによると、金色の不死の身体に変化したことは、鉄・銅などの卑金属を純金に変える力を得たことを示している。

スワミのこの力で、彼がただ、見たり触ったり、あるいは、少しの間手に握るだけで、卑金属が純金に変化した。

金属を変化させた出来事は、スワミの一生が書かれたT.V.Gチェティ氏とカンダサミィ・ピッライ氏の伝記にも記録が残っている。

スワミは、水瓶に砂を入れて、その口を手でしばらく塞いで、砂を砂金に変えたことがある。

そして、彼は、その砂金を道にばらまいた。

スワミは、錬金術を追求していたアラッパッカムのナイナ・レディアール氏にそれを見せ、「執着の無い純粋な者だけが、物質を変化させることができる。」と言った。

スワミの金色の不死の身体は、物質を変化させられる聖なる放射能のような力を持つようになった。

これは、明らかに、肉体が想像を超えて変化するために直接的に働いた力である。

スワミが、金属を溶かしたり、水銀を硬いビーズに変えたり、触れたり手で握るだけで卑金属を純金に変えたりする奇跡は、彼の高いエネルギーを放出する(放射能のような)能力・あるいはそれによって体が熱を発することを示している。

スワミは、彼の詩のなかで、次のことをはっきりと述べている。

「私の不死の身体は、見せかけで遮るものが無いこの身体を貫通する可能性がある宇宙空間の放射線の危険から影響を受けない。そして、神は金属を金に変える力と知恵を私に授けてくれた。」

ラサバダ(Rasavada)の彼の教えには、足の塵にさわったり、息をしたり、言葉を発したり、見たり、ただ思うだけで、金属が変化したことが、書かれている。

身体の細胞、すなわち変容した身体の細胞は、正当な理由の無い、あるいは神秘的な方法で、変性転換に影響を及ぼすことができる。

それは、身体に入った金属物質が、細胞を通り物質が入れ替わる過程を経て、変容されることを示している。

事実、スワミは、「神格化した基本的性質、それは燃えない気体物質の不滅の身体、放射能のような聖なる熱をもつ身体で、そのような熱とガスで作られた私の身体は、いつもしきりに何かを変化させようとして、基本的に宇宙全体を作った。」と証言している。

彼の教えによると、ヘマ・シッディ(Hema siddhi)とデーハ・シッディ(Deha siddhi)は、二つの偉大な力で、金属や物質を純粋な不変の金に変えたり、肉体を不変の金色の不死の身体に変える。

(ヘマ・シッディとは金属や物質を変化させる力でデーハ・シッディは肉体を変化させる力のこと)

それらは、想像を超える変容に伴って発生した力であり、つまり、そうして変化した金・不死の身体は、永遠に完璧に変容したまま存続するということだ。

不死の身体(シュッダ・デーハ suddha deha)は、オームの身体(プラナーヴァ・デーハ pranava deha)と英知の身体(ニャーナ・デーハ jnana deha)

以上のように変化した身体は完璧に永遠に残り、この世界で彼のやるべき事が終わり、魂が肉体から離れても(それが魂の意志でも、神の意志でも)、意識がある身体はそのまま生きて腐ることなく、また他の身体に影響を及ぼす力も残るのである。

※シュッダ・デーハ(不死の体) → プラナーヴァ・デーハ(オームの体) → ニャーナ・デーハ(英知の体)

※プラナーヴァ・デーハは、「ババジと18人のシッダ」では、(Pranava deham:Body of Grace and Light)というように「恩寵と光の体」となっているがプラナーヴァとは、原初の音であるオームを表すので、そのままオームの体としました。

(17)大きなラドゥー(甘いお菓子)と水が入ったカメ

スワミはデヴァナヤカムを連れて、センジの丘を散策した。

デヴァナヤカムは、お腹がすいて、疲れていた。

スワミは彼を木の下で休ませてどこかへ行くと、大きなラドゥー(甘いお菓子)と水が入ったカメを持って戻ってきて、彼に与えた。

デヴァナヤカムが満足すると、スワミは、カメを戻してくると言って出かけ、その後、戻ってきて、彼と合流した。

(17-A)スワミとシッダ・プルシャ

カダロールの町で、スワミは、アッパサミー・チェティアールという信者の家に一度泊まったことがある。

それは、地元の寺院の神が儀式用の馬車に乗って練り歩く祭りのときで、多くの人々がこの家にいた。

聖者らしき人がスワミの部屋に入っていき、少し話した後、出て行った。

他の人たちと座っていたドゥライサミー・ピッライという信者は、その男のことが気になった。

彼はスワミの部屋に行き、彼について尋ねた。

スワミの前には大きなラドゥー(甘いお菓子)があった。

スワミは、それを少し取ると、残りは皆で分けるように彼に渡し、「これは、さっき私を訪ねたシッダ・プルシャからもらったもので、今頃、彼はベナレスに着いただろう。(ベナレスは約1500マイルも離れている。)」と言った。

スワミは、ラドゥー(甘いお菓子)を少し食べると、「ある女性の信者(Vanti)が作り、シヴァに供えた甘い餅(pittu)はこんな味だったのだろうか?」と叫んだ。

注:ある女性の信者に仕えたシヴァ神

これは、マドゥライに数世紀前から伝わる古い伝説的な出来事である。

ヴァイガイ川に洪水があったとき、洪水の浸食を確認するために、土手を高く盛るように、王は住民たちに命令を出した。

ヴァンティというある女性のシヴァ信者は、たいそう年をとっていてその命令を遂行することができなかった。

彼女は、人を雇って、彼女の代わりに働かせた。彼女の仕事は、ピッツ(pittu)という甘い餅を蒸して作り、売ることだった。

それで、彼女はお金の代わりに、甘い餅を給金としてその労働者に渡したのだが、彼は変装して彼女に仕えるために来たシヴァ神だった。

使用人としてのシヴァ神は、土手を盛り上げるために土を掘り、土が入ったかごを頭に載せて、それを土手に運んだ。

しかし、彼はヴァンティに割り当てられた仕事を終わらせなかったことが明らかになった。

パンジャ国の王は、彼がきちんと仕事をしないで、歌ったり踊ったりピッツ(pittu)を食べたりしていたことを知り、腹を立て、杖で彼を打った。

その痛みは、宇宙全体が感じるところとなり、当然ながら王もその痛みを感じた。

洪水は弱まった。聖なる労働者も姿を消した。

これは神の戯れだったことを、すべての人が知ることになった。

(18)小石が敷き詰められた地面

メットゥクッパムでの晩年の日々、スワミはよく信者に教えを説いたものだ。

屋外で、みんな、小石が敷き詰められた地面の上に居心地悪く座っていた。

スワミは、彼らがそのように座ることに耐えられず、柔らかい砂を運んでクッションのようにその場所に広げるように頼んだ。

しかし、誰も聞き入れなかった。

ある夜、スワミは彼の場所から、柔らかい砂の上に座っていた聴衆の場所に動き、砂をタオルに入れ、前に運んだ。

信者たちは、彼に従い、彼らの上着やショール(それが、白い綿や絹であろうと、金のレースに縁取られていようといまいと)に砂を集め、スワミの座る場所や、その場所全体に広げた。

この作業が終わると、みんな心地よく座り、スワミの話を聞いた。

弟子たちが、大量の甘い餅ピッツ(pittu)を、ワダルールの巡礼宿から持ってきて、そこに集う聴衆たちに配った。

スワミもピッツ(pittu)を味わいながら、「これは、2000年前に食べたピッツ(pittu)のようだ。」と言った。

(19)スワミの身体と手足切断

ある日の正午、スワミは巡礼宿から外出した。

巡礼宿を管理していたヴェルールの町から来たシャンムガ・ピッライ氏は、スワミの帰りを待っていたが、心配でたまらなくなって、スワミを探しに出かけた。

彼は、スワミの身体と手足が数片に切断されているのを見つけて、気絶しそうになった。

突然に、スワミが彼の前に現れ、もう二度と彼を探しに来ないように忠告して、巡礼宿に戻った。

(これは、シルディサイババと同じカンダ・ヨガのエピソードを思い出させますね)

(20)瞬間移動

ある日、スワミは巡礼宿から一人で散歩に出かけた。

数人の信者がついてくるのを見て、スワミはついて来ないように命じた。

しかし、彼らはスワミについてきた。

突然、スワミは、はるか遠くを歩いていた。

信者たちは、彼に追いつこうと走ったが、スワミがさらに遠くに居るのが見えた。

(21)非物質化・物質化の現象

カルングリ村で、ある夜、スワミは池の近くまで散歩に出かけた。

ある信者は、スワミが一人の時に、教えを授けてもらう良いチャンスだと思い、急いで、彼の後を追った。

しかし、突然に、スワミが遠くにいるのが見えた。その信者が近づけば近づくほど、スワミは遠くへ行ってしまった。とうとう、その信者はスワミの後を追うのをあきらめた。

注:上の出来事は、明らかに、彼が生きていた時の、非物質化・物質化の現象である。スワミは、彼の肉体を繊細な物質の中に吸収し、再び、繊細な物質から肉体を出して映し出し、遠い距離に現れる。

(22)瞬間移動

マドラスに滞在中、スワミはある日、イシュワラ寺院に参拝するために、ティルヴォッティユまで歩いて行った。

信者や弟子たちに混じって、ソム・チェティアー氏とヴェラユッダ・ムダリア氏もスワミと共に出かけた。

途中、激しい雨に見舞われた。

スワミと一緒に旅をしていた者たちは、この雨で大変な思いをした。

スワミは彼らに近道を案内し、すぐにティルヴォッティユに到着した。

T.V.Gチェッティ氏の「ラーマリンガの一生」には、この出来事に関する記事が次のように記載されている。

「ティルヴォッティユまで半分くらい来たところで、大雨に見舞われた。スワミと一緒に来た者たちは、大慌てで走り回った。しかし、スワミは、一同を集め、謎めいた方法で瞬時に動いたかと思うと、一秒後には、全員が寺院の前に到着していた。」

注:この出来事は、全員が共有する非物質化・物質化のように思える。つまり、スワミは、全員を彼の繊細な物質的身体の中に入れたか、あるいは、彼の身体の周りにある部分が広がって全員を包み、一瞬のうちに、目的地に到着したのだろう。彼の信者たちは、神秘的な方法で移動し、瞬時に目的地に着いた過程を、身体で感じただろう。

(23)女神に食事を与えられたスワミ

ある日、スワミは、ティルヴォッティユの寺院に参拝し、夜遅く帰って来た。

夜遅かったので、彼の姉は家の鍵を閉めていた。

スワミは、彼女を起こしたくなかったので、空腹で疲れていたが、家の外で眠ることにした。

しばらくして、彼はたくさんの食べ物に気づいて目が覚めた。

スワミは、姉がライス・ポンガル(お粥)を持ってきてくれたことに気づいた。

彼女は、「ティルヴォッティユに行って、お腹がすいたでしょ?」と優しく尋ね、彼の返事を待たずに、食事を差し出した。彼は食べ終わると、また寝てしまった。

しばらくして、彼の姉が来て、彼を起こして、優しく尋ねた。

「どうして、お腹がすいたまま、寝てしまったの?ドアを叩いて、私を起こせば良かったのに。中に入って、何か食べなさい。」

スワミは、少し前に、彼女が食事を用意してくれたことを伝えたが、彼女は、さっき起きたところで、そのようなことはしなかったと答えた。

それで、スワミと姉は、聖なる女神がスワミの姉に姿を変えて現れ、恩寵に満たされた食事を与えてくれたことを知った。

注:スワミは、この出来事について、彼の歌(アルル・ヴィラッカマライ(Arul Vilakkamalai)11,36,43&48)の中で言及している。神は、空腹のとき、物質的な食事だけでなく、神の愛をも与えてくださる、と述べている。

(24)病気を治す(個人も全員も)

夏のチティライ(Cithirai)月のある日、ワダルールの町のダルムシャーラ(巡礼宿)に滞在していた11人の信者たちが、(おそらくインフルエンザの)熱で床に伏していた。

哀れみの気持ちから、スワミは、ひとりひとりに愛情のこもった声で、

「父(年齢や関係に関わりなく使われる聖なる父の魂を重要視する、タミール語で愛情のある言い方)よ、あなたの熱を私にくださいますか?」と尋ねた。

そして、彼の身体は火のように熱くなったが、5分後には、普通の元気な状態で部屋から出てきた。11人の熱も下がり、全員が回復した。

注:スワミは、彼の信者たちの熱と病気を吸収し、かれらを元気にして、最終的に彼の身体から病気と症状を出したのだろう。この出来事は、集団治療として非常に興味をそそる。

(25)トゥルシーの葉と水で病を治す

ある日、スワミは、ティルヴァディライ・ダルシャン(Tiruvadirai darshan)に参加するために、チダンバラム寺院に向かっていた。

消化不良に悩むある男が、途中で、病気を治してほしいとスワミに祈った。

スワミはトゥルシーの葉(葉は神への献身の象徴)と水を治療として与えた。病は、治った。

(26)聖灰(ヴィブーティ)を祝福病を治す

セヴァライ村のある男は、消化不良で12年も悩まされていた。

彼は、スワミに病気を治してほしいと祈った。

スワミは、聖灰(ヴィブーティ)を祝福と共に彼に与えた。

彼は、敬意をこめてそれを受け取り、彼の額にそれを塗り、唇に少し乗せた。彼の病は、治った。

(27)2か所に同時に存在したスワミ

カダロールの町で、ヴェーダナヤカム・ピッライ氏の息子のアヤサミィ・ピッライは、重い病で床に伏していた。

死が近かった。

スワミの信者である父親は、不安で絶望的だった。

スワミ(後に判明した事実だが、その時、スワミはワダルールの町で講義をしていた)がやってきて、ドアを叩いた。

ドアが開けられ、スワミは患者のそばに座り、聖灰を彼の額に塗った。

そして、少しの間、彼の眼を開けさせて、ベッドの脇に座った。

スワミは帰って行った。

翌日、父親は、息子を馬車に乗せて、ワダルールへ出かけた。

スワミがカダロールの町に来て、治療を施している時に、彼はワダルールの町で一晩中講義をしていたことを、父親と息子は知った。

スワミは、昨日起きたことは、神の仕業なので、この秘密を漏らさないように、彼らに話した。

父親と息子は非常に驚いて、愛の波が湧き上がるのを感じ、スワミの恩寵に感謝した。

(28)ダルシャンを見て、病気が治った

コンガラ・パラヤム村の96歳の女性は、神経系の身体の震えに悩んでいた。

彼女は、ワダルールの町でスワミのダルシャンを見て、病気が治った。

(29)ハンセン病を聖灰で治す

スワミの母方の伯父である、カルングクリ村のプルショタマ・レディアール氏は、ハンセン病の患者だったが、スワミは、聖灰を与えて、病気を治した。

(30)眼の病気を治す

眼の病気を、聖灰でスワミに治してもらったムトゥ・ナラヤナ・レディアール氏は、彼のすべての資産を、スワミに贈った。

(31)咽頭扁桃腺が大きくなる病気を聖灰で治療した

セーラムの町からカダロールの町に来た商人の使用人は、咽頭扁桃腺が過度に大きくなる病気だったが、聖灰によって、スワミが治療した。

(32)癌が治った

カルングクリ村で、スワミは、アッパチャミー・チェティアール氏という信者に会った。

彼の兄は癌で、スワミの恩寵を祈っていた。

スワミは、3つの小さな包みに聖灰を入れ彼に渡した。彼の兄の癌は治った。

(33)悪霊を統制する

ある夜、4人の魔術師たちは、メットゥクッパム村でスワミに会うためにワダルールの町を出発した。

途中、カーリ(kali:女性の邪悪な生き物、女神のカーリではない。)が恐ろしい姿で現れ、彼らを脅した。

彼らは、彼女を鎖で縛って、旅を続けた。

彼らは、スワミに会うと敬意を示し、途中でカーリに脅され、彼女を捕まえたことを報告した。

スワミは、「そんなことはせずに、ただスワミに会いに行ったと、彼女に伝えなさい。」と彼らに言った。

帰り道、カーリは大きな恐ろしい姿で現れたが、この旅の目的を伝えるやいなや、小さくなって、つつましくどこかに行ってしまった。

(34)モヒニは逃げて消えた

ある夜、ふたりの信者が、スワミと一緒にティルヴォッテイユの町に行く途中、モヒニ(mohini:女性で、男性を魅了しようとする生き物)が信者ふたりをおそった。

スワミは、すぐに「ピッ(pich)」と言うと、モヒニは逃げて消えてしまった。

スワミは、彼らに聖灰を祝福とともに与えた。

(34-A)黒魔術・魔術から解放する

クリンジパディ村のヴィジャヤ・ラーガヴァル・ナユドゥという警官は、黒魔術あるいは魔術にかかり苦しんでいた。

彼は、スワミの恩寵を切望した。

スワミは、彼が、マントラ・ジャパとして唱えるように、スリ・ラーマ(Sri Rama)の聖なる栄光を詩に書き、彼に与えた。

その警官は、言われたようにして、苦しみから解放された。

(35)憑依も治療ー菜食主義者に変え、カーリー寺院での動物の生贄をやめるよう頼む

スワミは、憑依も治療した。

ヴェッタヴァラム村のザミンダー氏の二人の妻のうちのひとりは、ブラーマ・ラクシャシ(brama Rakshasi)という邪悪な女の霊にとりつかれていた。

もうひとりの妻は、浮腫を病んでいた。

薬・神秘的、魔術的な方法・動物による生贄を差し出すなどの治療をしても、彼女たちの苦痛はいっこうに改善されなかった。

ザミンダー氏の要望で、スワミはヴェッタヴァラム村に出かけた。

ザミンダー氏は、2つの見た目は同じ椅子を用意してスワミを待っていた。

スワミが到着し、家に入ろうとするやいなや、霊にとりつかれた妻が出てきて、スワミの命令でこの霊が彼女から出て行くことを待っている、と断言して、スワミに祈り手を合わせた。

彼女は、スワミから聖灰を受け取った。

その霊は、ザミンダー氏の妻から離れ、自由になった。

そして、3包の少量の聖灰をもうひとりの妻に与え、彼女の浮腫を治療した。

ザミンダー氏は、スワミがヨギかどうかを見極めようとしていた。

スワミが、同じような2つの椅子のうちの、彼が心に決めた特別な椅子に座れば、スワミはヨギという判断だった。

スワミは、まさにその特別な椅子の方に腰をかけた。

ザミンダー氏は、スワミを試すような振る舞いを詫びた。

スワミは、その家族の全員を菜食主義者に変え、村のカーリー寺院での動物の生贄をやめて、代わりにミルクライス(ミルクで調理された米)を女神に差し出すように、人々に頼んだ。

ヘビのような、全ての毒のある生き物は、殺したり、傷つけたりしないで、村の外の遠い森林に移すように頼んだ。

この目的のために、スワミの要望で、へび使いが雇われるようになった。

(36)ランタンを持った男

その当時、スワミは、カダロールの町で昼間、講義をした。

彼の講義を聞くために、人々はあちこちから集まった。

マンジャクッパム村から、ラーマクリシュナ・ピッライ氏が、スワミの話を聞きに来た。

帰り道、彼が夜の暗闇を恐れていると、彼の少し前をランタンを持って歩く男がいることに気づいた。

その男は、彼の村の境まで来ると、消えてしまった。

近くでこの男を見たら、彼の形は見えなかっただろう。

スワミにこの出来事を話すと、彼は、それは聖なる神の戯れだと答えた。

(37)宙に浮いたトーチ

ヴリダーチャラムのヴェンカテサ・ライアーという弁護士は、妻と一緒に、ワダルールの日曜日のスワミの講義に参加するところだった。

この講義に参加するために、ふたりはよくその前日にワダルールに来たものだ。

ワダルールに行く途中3マイルのところは、茂みで覆われたさびしい森で、彼らは、そこを通らなければならなかった。

そんな時に、このふたりの前にふたつのトーチが現れた。

しかし、トーチを持つ人はいない。

ふたりは、この奇跡に非常に感動し、後に仕事を引退してから、ワダルールに移り住み、スワミの恩寵を楽しんだ。

注:スワミが姿を消した後でさえも、彼の信者であり弟子で、ダルムシャーラ(巡礼宿)を管理していたスッバラヤ・パラデシ氏が、ダルムシャーラのために基金を集めるために危険な道を通らなければならない時に、彼の前を(持ち手のいない)ふたつのトーチが進むのを、時々見た。このようにして、彼は恐れることなく、安全に歩くことができた。

(38)真実への道

アールムガ・ムダリアという工事請負人は、スワミから護符(Kulikai)をもらいたいと思っていた。

スワミは、彼にコショウ2粒の大きさの護符を与えた。

しかし、彼は、それが非常に重く感じられ、手から落としてしまった。

それで、スワミは印刷した「真実への道」を与え、幸せに暮らすためにそれに従うように勧めた。

(39)来賓客としてのスワミ

チダンバラムの町で、パンディナータ・シッダーというシッダはムルガン神に捧げられた寺院を改装した。

最終日に、彼は、石工や労働者たちに聖灰を与えたのだが、不思議なことに、それは、彼らの改装工事での働きに見合う分のお金に変わった。

こうして、改装工事は完了した。

改装された寺院が礼拝(Kumbhabhiseheka)のために開かれる日、スワミは主な来賓として招かれた。

このシッダ(超能力や神による奇跡を起こせる者)は、スワミを他の献身的な神(Adiyargal)の奉仕人たちの中央に座らせ、マヘーシュワラ・プージャを行った。

そして、すべての人に食べ物をふるまった。

このシッダは、スワミからプラサードとして、たくさんの食べ物を、大きな歓びとともに受け取った。

(40)大きなヘビ

ナタラージャ・ピッライは、ヘビを捕まえようと、それを追いかけていた。

しかし、ヘビは、彼の右手に噛み付いた。

それで、彼は、スワミのところに急いで駆け込んだ。

スワミは、ヘビはアーナンダ・ナタラージャであり、至福の神の戯れだと、述べた。

ヘビはすぐに彼の手から離れ、彼には少しの傷も残らなかった。

注:スワミは、すべての生き物の中に神が存在すると見ている。彼は、ヘビの内にも神を見ている。

(41)ヘビの毒

ある夜、ある信者が、スワミが居るシッディワラガ寺院に向かう途中、誤ってヘビを踏んでしまい、足を毒牙で噛まれてしまった。

彼はスワミに祈った。その毒は、彼に何の影響も及ぼさなかった。

(42)ヘビを解放

ある日曜日、スワミの信者が沐浴をするために、茂みの近くの広々とした場所にかがんでいると、ヘビがシーッと音をたてながらやって来て、彼に噛みついた。

彼はすぐにスワミの名を呼び、「ラーマリンガの権威ある力のもとに」(つまり、彼の聖なる名前を守りの盾として使い、スワミの力でヘビを従わせようと)と誓いの言葉を述べた。

そのヘビは、その場で身動きができなくなり、食べることもできなくなった。

彼は、立ち去った。

しかし、スワミがこの一件を知って、ヘビが誓いの力で拘束され、3日間も食べ物もとれず、その場で動けなかったことに、哀しみと同情を感じたと、講義で聴衆に話した。

毎週火曜日、その信者はスワミを訪ねることになっていたのだが、その時に、スワミは彼にこう言った。

「なんとひどいことを!3日間も食べ物を与えないなんて。ピッ。私の名前を使ってかけた権威ある誓いの力をほどきなさい。」

信者は、その場所に行って、誓いの力からヘビを解放した。

ヘビは、その巣穴へと動いていった。

(43)大きなヘビ

マドラスの郊外、ヴィヤーサルパディで講義をした夜の帰り道で、大きなヘビが道路の真ん中に現れた。

他の者たちは、みんなそれを避けたが、スワミは動かなかった。

ヘビは、彼の足に傷を負わせた。

スワミは、ヘビに立ち去るように命令して、それは逃げて行った。

(44)スワミを噛んだヘビ

カダロールの町で、スワミは一度、アッパサミー氏を訪ねたことがある。

彼の倉庫には、プランテイン(生食用のバナナ、あるいはオオバコ)の木があった。

プランテインの葉の上にいたヘビが、スワミの頭頂を噛み、そこから血がにじみ出た。

スワミは、聖灰を噛まれた場所に塗った。

彼の周りにいた信者たちは、何が起こったのか気になって、彼にたずねた。

スワミは、冷静に、葉の上にいたヘビが、死ぬために彼を噛んだ、と答えた。

ヘビは、葉の上で死んでいた。

(45)泥棒について

マドラスに住んでいた時、スワミはティルヴォッティユに行った。

彼が宿で寝ていると、泥棒がやって来て、彼の右耳から宝石が付いた金の耳飾りをはずした。

スワミはそれに気づいていたが、左耳からも耳飾りをはずせるように、寝がえりをうった。

この出来事以来、スワミは二度と耳飾りを身につけなかった。

(46)泥棒

ある日、スワミはカダロールの町を発ち、クランチャヴァディ村に近い場所に泊まっていた。

ムスリム人の巡査長は、スワミに上半身にまとう新しい布を提供した。

スワミが、宿で寝ていると、泥棒が来て、その布をゆっくり優しく引いて取ろうとした。

スワミはそれに気づいていたが、布を取りやすくするために寝がえりをうった。

しかし、その時、巡査が来て泥棒を捕えて、罰を与えた。

そうこうしているうちに、スワミは、起き上がり、巡査をなだめて、泥棒には新しい布を与えて、もう盗みを働かないように、助言した。

(47)泥棒2

ラーマチャンドラ・ムダリアー氏は、若い雄牛に車を引かせて、スワミを村に連れていくところだった。

夜になり、クランチャヴァディ村の近くに来ると、ふたりの泥棒がその車を止めた。

運転手とムダリアー氏の使用人たちは、恐怖で車から降り、近くのカシューナッツの林に隠れてしまった。

泥棒は、車の後ろに来て、ムダリアー氏に、ダイヤモンドの指輪をはずして彼らに渡せと、脅した。

スワミは、それを遮って、「そんなに緊急なのですか?」と聞いた。

彼らは、スワミを叩こうとして、こん棒を振り上げた。と、同時に、彼らの手は動かなくなり、眼も見えなくなった。

泥棒はその振る舞いを反省し、スワミに許しを求めた。

スワミが「ピッ」と声を出すと、すぐに彼らは普通の状態に戻り、手も動き眼も見えるようになった。

彼らは、スワミに手を合わせ祈り、見送った。

(48)菜食主義者になった

ワダルールの村の周りに住む人々は、スワミに影響されて、菜食主義で無かった人が、菜食主義者になった。

(49)音楽家としてのスワミ

チダンバラム・クリシュナ・アイアールという音楽家がワダルールの町に来て、スワミの前で、アプルパ・ラーガの旋律で、初めのスタンザ(節)のマハデーヴァ・マライ(Mahadeva malai)を歌った。

スワミは、彼の歌を聴き、彼もより豊かな旋律で歌った。

この音楽家は、スワミに対する知識が充分にあり、音楽の才能もあると、知られるようになった。

(50)ガヤトリーマントラの秘密

スワミは、ヴェーダ(Vedas)やアーガマ(Agamas),古代の霊的、宗教的文献を熟知しているブラーミンの司祭職であるサバパティ・シヴァチャーリヤに手紙を書き、ガヤトリーマントラ(人智を超えた太陽についての真実・知識に対する祈りのマントラ)の真の意義について秘密にされていることを説明した。

シヴァチャーリヤ氏は、彼の弟子になり、後に、サティヤ・二ャーナ・サバイ寺院を任される僧侶となった。

彼の子孫は、サティヤ・ニャーナ・サバイ寺院の僧侶として、奉仕し続けている。

(51)すべての言語の基礎であるタミール語

サンスクリット語とタミール語に精通しているシャーストリは、スワミと議論していて、サンスクリット語は最初の言語だと強調した。

スワミは、タミール語が全ての言語の起源(Pitru bhasha)だと述べて、それを証明するための論文をすぐに書き、それを学者にわたした。

(52)菜食主義に変える

ワダルールの町のハリジャン(不可触賤民:カースト制度に入らない最下層の人々)を率いるアマヴァーシャ(Amavasha)に、スワミは、死んだ雄牛を食べるのをやめて、それらを埋葬するように言った。

彼は、スワミにそれを約束したが、彼は生活するために毎日8アンナ銅貨が必要だった。

スワミは、黄色の布に8アンナ銅貨を縛り、箱の中に入れておくように言った。

彼は、言われたようにして、彼の稼ぎとして8アンナ銅貨をもらった。

彼は、動物を食べることをやめ、菜食主義者になった。

(53)農作物の収穫量は増えて豊かになった

ある日、スワミは、アルナーチャラ・パダヤチ氏と、ヴェンカタチャラ・パダヤチ氏という大家族を持つふたりを、祝福しながら、こう言った。

「もし、これから動物の肉を食べることをやめたら、あなた方の藍と穀物の収穫量は5倍になるだろう。」

彼らは、スワミに従い、ジーヴァ・カルニャ(Jeeva Karunya) すなわち、動物の命に対して無償の愛と尊敬を示す運動の支持者になった。

彼らの農作物の収穫量は増え、豊かになった。

(54)数ヶ国語に精通する並はずれた知識

ポンディチェリの町の電報局長、ピナカパニ・ムダリアは、七、八ヶ国語に精通していることを自慢に思っていた。

彼は、スワミに多言語を習うように助言しに来た。

スワミは、彼の来訪を予感していたので、ムダリアが来た時に、「ほら、私に助言する人が来ましたよ。」と言った。

彼らは、しばらくお互いの話をしていたが、しばらくして、スワミは彼の最初の弟子であるヴェラユダ・ムダリアの4歳の息子を連れてきた。

この少年を抱きかかえて、スワミは、ピナカパニ氏に質問した。

「あなたは、何ヶ国語理解できますか?」彼は、「五、六ヶ国語わかります。」と答えた。

そして、スワミは、ピナカパニ氏に、何語でも何の話題についてでもいいので、この少年に質問するように言った。

少年は、ピナカパニが選んだ言語で的確に答えた。

ピナカパニは、驚きで唖然として、卒倒しそうだった。

スワミは、さらに、彼が尋ねたいことは何でも少年に質問するように言った。

ピナカパニは1時間半ほど黙ったまま、彼がプライドを誇示したことをスワミに詫びようと思っていた。

スワミが「ピッ」と言うと、すぐに、ピナカパニ氏は、彼の間違った行いを詫びるために、口を開いた。

そして、何度も手を合わせて、スワミに祈り、帰って行った。

注:スワミは、この少年と共に居ることで彼に影響を及ぼし、少年を通して人々を諭していたようだ。少年の父親であるヴェラユダ・ムダリアも、スワミと共に時を過ごし、また、スワミの祝福を受け、サンスクリット語の難しい本をスリ・シャンカラチャリヤに説明した。また、ヴェラユダ・ムダリアは、タミール語で詩を書くために、インスピレーションを受けた。彼は、理知的な人間の思考で理解できるレベルのことをうまく説明できたので、スワミは彼を信者たちのもとに送った。

(55)ウッタマ・プルシャと裸のサンニャース

マドラスに滞在中、スワミは広い道路を通る代わりに脇道を通って、ティルヴォッティユ(Tに行った。

ある日、彼はたまたま広い道路を歩いていた。

通り沿いの家に、裸のサンニャースが座っていた。

彼は、道行く人を、「馬鹿が通る。雄牛が通る。」と批評していた。

スワミがその道を通ると、裸のサンニャースは、「非常に高貴な人(Uttama Purusha)がいらした。」と批評しながら、(あたかも、偉大な人に敬意を表しているように)すぐに全身を覆った。

スワミは、彼に少し言葉をかけた。

まさにその夜、裸のサンニャースはその場を去った。

(56)ヨギのカルパットゥ・アイヤー

カルパットゥ・アイヤーというヨギは、智慧のある人(Jnana Acharya)がお供を連れて、彼が予言した日、その時間に、彼を弟子として受け入れるためにやって来ることを、本能的に知っていた。

ヨギは、この直観を多くの人に話していた。

スワミは、多くの信者を連れて、ヨギが予見した日、時間に、ヨギの村、ティルナラング・クンラム村を訪れ、彼を弟子にした。

スワミは、彼をワダルールに連れて行き、彼がヨガを実践し、追求するための小屋を与えた。

スワミが信者たちに講義をする時、どんな内容でも、カルパットゥ・アイヤーにとってプラスになるものは何でも、彼をすぐに呼び寄せて聞かせたものだ。

晩年、このヨギは、ダルムシャーラ(巡礼宿)を管理した。

彼は、ワダルールで亡くなり、彼の墓はダルムシャーラの近くにある。

彼は、スワミの弟子のうちの一つの魂として認識されている。

(57)芸術、科学 そして 神秘主義

彼の霊的・神秘主義的な知識とは別に、スワミはこの世界についての知識を十分に持ち合わせていた。

土着のシッダ系統 の薬や、薬効のあるハーブについてはとりわけ詳しく、その他に、文学、音楽、論理的議論、錬金術、天文学、ヴェーダンタ(Vedanta)やシッダーンタ(Siddhanta)、マントラ・シャーストラ(mantra shastra)のような哲学、また、護符に隠された力や、類まれなる力と質を持つ宝石についても、知識があった。

彼は、このようなテーマで説明を求められると、すぐに、詳細にわたって論じることができた。

つまり、すべてのテーマにおいて、彼は天才だった。

(58)文学の敵対者

スワミの弟子たちは、彼の詩を「聖なる啓示の詩」という意味のアルッパ(Arutpa)4巻として、1867年に初めて出版した。

アールムガ・ナヴァラールという、スワミと同世代の名の知れたタミール文学の学者がいた。

彼は保守的で、その時代の霊的文学の荘厳さ・崇高さを評価する古い伝統を崇拝する人で、高尚な霊的意義の本質を深く理解することはなかった。

そして、アルッパ(Arutpa)のスワミの詩に異議を唱える論文を書き、アルッパを、古代タミールの霊的文学に当たるティルムライ(Tirumurai)として、分類分けした。

人智を超えた霊的経験を持ち、不死の身体に変容したことを口にすることなく、皆が共に進化することを願ったスワミは、この時代の文学者たちから正しく評価されることはほとんどなかった。

しかし、時が経ち、スワミの詩と散文のすべてが6巻にまとめられ出版されると、彼の聡明な理解が背景にあったことは疑う余地がなく、彼の作品に対する高い評価が確立されてきた。

前述したタミール文学者は、スワミに反対する論文を書いただけでは満足せず、チダンバラムでスワミが講義中に、その学者の悪口を言ったとでっち上げて、名誉棄損で訴えるという愚行に至った。

1869年にマンチャクッパムの町の裁判所に、スワミも招集された。

彼には、代弁する弁護士はいなかった。

裁判所は、人でいっぱいだった。

スワミが喚問のために入廷すると、裁判所に集まった全員が立ちあがり、彼に敬意を表すために手を合わせた。

原告であるアールムガ・ナヴァラール氏も立ち上がり、スワミの内にある神の恩寵に敬意を表して手を合わせた。

裁判官も、彼の席で半腰で立ちあがった。

法廷で全ての人がスワミに敬意を表した優美な出来事は、この一件を決定づけた。

尋問を受けた時に原告は、法廷内のすべての人が、スワミに敬意を払い彼の偉大さを認めたことで、彼もスワミを尊敬すると認めた裁判官は、この訴えを棄却した。

(59)県長官と角笛吹き

マンチャクッパムの町の県長官、ヴェンカタスッヴァ・アイヤールは、スワミの講義を聞くために、毎日、カダロールの町まで出かけた。

県長官の来訪は、角笛の音が合図だった。

それは、彼の使用人(カーストの低い身分の出身)が、マンチャクッパムの町からカダロールの町までの間ずっと、彼の車の前で角笛を吹いていたからだった。

ある日、角笛吹きは道中ずっと早く走らなければならなかったので、カダロールに到着した時には、空腹で疲れて、身体が震えるほどだった。

スワミは、彼の講義を聞くために席についた県長官に、いつものように歓迎の気持ちを示すしぐさや言葉をかけなかった。

しばらくして、スワミは、彼を次のように叱った。

「いつまで、苦しみに耐える人生を彼に与え続けるのですか?あなたが目的地に着く前に、角笛吹きを走らせ、あなたの来訪を知らせるのは、正しいことなのですか?」 

県長官は、スワミの意見に同意し、過ちを詫びた。

スワミは、空腹で疲れ果てた角笛吹きにダルムシャーラで食事を与えてから、彼の講義を始めた。

注:角笛吹きを雇うことは、それ以来、少なくなった。

(60)シャンカラチャリヤと彼の疑問

聖シャンカラチャリヤがマドラスに行った時、サンスクリット語の本についての疑問を解消してくれるサンスクリット語の学者(賢者)がいないか探していた。

彼のブラーミンの信者が、ワララール(ラーマリンガ)の名前をあげた。

ワララールとその弟子、トルヴール・ヴェーラユダ・ムダリアは、シャンカラチャリヤの要望に答えて、彼を訪ねた。

サンスクリット語の本についての、シャンカラチャリヤの疑問は晴れた。

注:ヴェーラユダ・ムダリアについて

ヴェーラユダ・ムダリアは、サンスクリット語とタミール語の学者だった。そして、この時、スワミの祝福と存在によって、この弟子もシャンカラチャリヤに説明する機会を得た。

(61)生徒を叩いてはいけない

ワララールがマドラスに居る時、ポネリ・スンダラム・ピッライという教師が、しばしば杖で生徒を叩いている、ということを知った。

その教師と叩かれた生徒は、それぞれ、スワミの兄の義理の息子と、スワミの兄の息子だった。

スワミはこの出来事について詩を書き、このことを報告した少年を通じて教師にそれを送った。

そして、生徒を叩くことはスンダラムという彼の名前の公正さに反することなので、生徒をこれ以上叩かないように、忠告した。

スンダラム・ピッライは、許可なく校外へ出ようとしていた少年を、また叩こうとしていたが、ワララールからの詩をこの少年から受け取るとすぐに、杖を捨て、叩くことをやめた。

(62)足が不自由な先生と、足が不自由な子羊

カルングクリ村のラーマサミィ・ピッライ氏は、メットゥクッパム村に居るスワミに、定期的に食べ物を送っていた。

スワミは、その地域の学校の足の不自由な先生とその村の足の不自由な子羊に食べ物を分けるように頼んだ。

足の不自由な子羊は、その左の耳を少し立てて、瞬きもせずに、遠くから、スワミの講義を聞いていた。

講義が終わると、両方の後ろ脚を引きずりながら、スワミの滞在していたシッディワラガ寺院の周りを、信者たちと一緒に回った。

(63)カラナパットゥ・カンダサミィ・ピッライ

カラナパットゥ・カンダサミィ・ピッライは、学者であり音楽家でもあった。

彼は、めまいで悩んでいた。

薬や治療は効き目がなかった。

彼は、スワミの恩寵を求めた。

スワミは、彼を無償の愛と祝福のまなざしで見ると、病気が治るように、聖灰を与えた。

また、彼がスワミの弟子となり、適職が与えられると保証した。

病気は治った。

カンダサミィは、忠実な献身的な弟子になったので、スワミは彼の人生と栄光を歌うことを(彼のサーダナー(精神的修行)の1部分として)認めた。

カンダサミィは、ジーヴァ・カルンヤ(jeeva karunya)の彼のメッセージとサンマルガ運動の理想を、文学や歌やバジャン(Bajans(集会での献身的音楽))を通して広げ始めた。

スワミの恩寵によって、彼は詩を作るためのインスピレーションを得た。

彼は、スワミの一生に関する詩やキルタン、スワミを賛美する愛と献身の歌の数々を書いた。

そして、スワミの作品すべてを1巻にまとめ、1924年に出版した。

真実に基づき、スワミの生涯に起きたいくつかの出来事を、この本に記載している。

それらは、スワミと共に行動し生活した信者や弟子たちから個人的に集めたものや、彼らのノートに書かれていたスワミに関する情報を記録したものだった。

カンダサミィは、彼の「アルッパ・ボリューム(Arutpa volume)」の出版にあたり、情報を与えてくれた人々への謝辞として彼らの名前を書いている。

(64)プルショッタマ・レッディア:スワミの付き人

スワミが、メットゥクッパム村のシッディワラガ寺院に滞在中は、数日間シュッダ・シヴァヌバーヴァ(Suddha Sivanubhava)の至福を味わい、その後、弟子たちに講義をしたものだ。

スワミが、カルングクリ村とワダルールの町に住んでいた時に、彼の付き人として仕えていたプルショッタマ・レッディアは、メットゥクッパム村でも彼に仕えていた。

生涯最期の頃、スワミは砂糖水を飲んでいたのだが、それは、お湯を3/5(5分の3)になるまで沸騰させて、それに砂糖を加えたものだった。

付き人は(熱くて手では持てず)鉗子でそれを用意したが、スワミはそれが沸騰している状態で飲んだ。

付き人は、スワミが至福にひたる部屋を掃除し、聖なるランプ(元はスワミが火を灯したが)に時々油を継ぎ足したり、燃え続けるように芯をきれいに整えたりした。

ある日、彼は、いつものように仕事をするために、部屋に入ると、ちょうどスワミが至福に満たされた直後で、偶然(あるいは、むしろ神の恩寵によるものかもしれないが)、スワミの恩寵に満ちた眼と付き人の眼が合った。

すると、すぐに、付き人は高い意識の恍惚状態に入り、その状態であり続けた。

他の信者たちは、その出来事を知って驚き、プルショッタマ・レッディアに何が起きたのか、スワミに尋ねた。

スワミは、「彼をそのままにしておきなさい。彼は、自然に目覚めるだろう。」と答えた。彼は、4、5日間恍惚に満たされ心を不動に保っていたが、その後、彼は起き上がり、表に出てきた。

しかし、数か月間、彼は誰とも話さず、沈黙を保った。

この付き人は、一度、スワミに、サーダナー(解脱を目指すための精神的修練)を自分に与えて、神の恩寵を見せてほしいと頼んだことがあった。

スワミは、言った。「あなたは、私のように、謙虚です。もし、あなたがサーダナー(瞑想のようなヨガの訓練)をすれば、内なる光を受け取り、超能力(超自然的な低い超能力)を得るかもしれない。

そして、あなたはそれにうぬぼれて、破滅してしまうだろう。

だから、あなたにはサーダナーは必要ありません。

しかし、全ての生き物をあなた自身と同じように見る練習をしなさい。(つまり、全ての生き物は同等だと見る眼を養いなさい。)

そして、それをあなたの習慣にしなさい。

「全ての生き物を同様に見る資質を培った人は、本当に全能の神なのです。」

そして、プルショッタマ・レッディアは、スワミの祝福により、ワダルールを訪れる人や信者たちを受け入れる仕事を担うようになった。

彼は、愛をもって人々を暖かく優しくもてなし、ダルムシャーラ(巡礼宿)で食事や飲み物を給仕した。

全ての人に公平で、愛ある優しさと献身的で謙虚な彼の態度から、彼の良さは、多種多様ににじみ出るようになった。

とりわけ、晩年、彼が、ダルムシャーラとサティヤ・ニャーナ・サバイ寺院で何年も秘書官として働くようになったことは、その表れである。

シッディワラガ寺院で起きたこの出来事、すなわち、スワミが、神の恩寵を彼の眼に注ぎ、彼を高次元の意識にまで高めたことは、なんの驚きにも値しない。

最終章

永遠の神 アルッペルンジョーティ

永遠の神 アルッペルンジョーティ(ArutperunJothi)

私たちは永遠の魂なのだが、一時的にこの肉体に包まれている、と考えられてきた。

アドヴァイタ(不二一元論)の支持者たちは、この肉体という牢屋に閉じ込められた状態から、神の愛は私たちを解放する、と考えた。

アドヴァイタ哲学は、魂と神はひとつであり続ける、と説いている。

それは、この魂と神が分離せずに、ひとつに統合するということだ。

もしそうであれば、肉体という枠を持たずに、どのように人はその意識を保てるだろうか、という疑問が起きてくる。その疑問について、説明してみよう。

肉体は、電球のまわりのガラスの部分に似ている。

外側のガラスに損傷が無い限り、電球から光は四方八方に放たれる。ガラスにひびが入った瞬間に、輝きは消える(光が照らす範囲は小さくなる)。

肉体にも、同じようなことが言える。肉体が切り離されて(死んで)、意識が神とひとつになると、肉体は機能しなくなる。

しかし、アドヴァイタ哲学者たちは、この幻影の肉体は、意識がブラフマンである神と統合するまでは、本質的に必要であると、主張していて、神とひとつになった後は、肉体を切り離し、永遠に神とひとつである状態を維持できる、というのだ。

しかし、彼らが完全に見失っているのは、魂は永遠に存在するけれども、その存在だけでは、光(悟り)と呼ぶことはできない、ということだ。

永遠を認識するまでは、悟りや聖なる経験を得るために、肉体のようなある種の枠が必要、というのが真実だ。

しかし、ほとんどの宗教・哲学は、悟るためには肉体からの解放が必要だと主張している。

彼らは、悟った者は、肉体を脱ぐ必要があると主張しているのだ。

しかし、意識を留めるために、物質的肉体であれエーテル体であれ、体のような何かが必要だというのが一般常識だろう。

これら、昔の賢者たちは、肉体を持ちながら、同時に、悟れるとは、思わなかったのだ。

ほとんどの人間は、肉体を捨てて、目がくらむような神の高みをめざす、と彼らは考えたのだ。

このような時代遅れの古い宗教や哲学は、人間を解放する代わりに、むしろ、足かせをかけて束縛してきた。

アナガネリ(Anaganeri)の道

人間は、過去数世紀の間、この重みの下であえいできた。

しかし、幸いなことに、神はその窮状を知り、人類を助けにやって来た。

すでに述べたすべての奇跡、人智を超えた力や解放は、神の無償の愛の力のごく一部にすぎない。

その主な部分は、現在ティル・アルップラカーシャ・ワララール(Thiru Arutprakasa Vallalar)と呼ばれている、神の選ばれし弟子、聖ラーマリンガを通して明らかにされてきた。

この点において、彼が成し遂げてきたことは、すでに前の章で述べてきた。

神が彼と共にいて、神のガイダンスによって、彼が神になったことを証明したのは、ラーマリンガ自身である。

言い換えれば、人間が神(宇宙)とひとつになる存在であることを認識させるために、神が人間として光を放ったのだ。

聖なる光は、非常に高いところから、彼を不死にするために人間の身体に降りてきた。

その光は、人間の魂から広がり、過程を経て、死ぬべき身体を不死の金色の身体に変化させる。

このために、人間は一時的な楽しみを控えて、真実を認識するために深い瞑想に入り、すべての生き物に対して思いやりを示さなければならない。

思いやりは、神の核心部分を占める。思いやりは、宇宙のすべてを理解することを可能にする。

同様に、もし、悟りを得たいと切望するなら、内側の探究から始めなければならない。

この実用的方法は、アナガネリ(Anaganeri)と呼ばれ、シュッダ・サンマルガ(suddha sanmarga)に著わされていて、最終的に、永遠に至福の状態で生きる事ができるようになる。

アナガネリ(Anaganeri)の道は、神の王国に入り神とひとつになって生きるために、スワミによって考案された新しい道である。

今まで、物質主義者や、物質重視の生活をする世界中の人々は、たくさんの新しいことを発見した。しかし、最終的に彼らは死んで行くのだ。

また、この世は束縛された世界であることを知ったヨギや他の聖者たちは、この世を放棄し、深い瞑想に入り、自分自身を統合して、この世を去った。

このように、物質主義者であろうと、霊的修行者であろうと、悟ることはできない。

しかし、これは、スワミの原理に反している。

彼は、魂の中で生きるのと同時に、外側の世界でも生きていたからだ。

そして、彼の人生は、束縛されたものではなかった。

彼は、さまざまな経験を経て、最終的に真実を認識した。

これは、アナガネリ(Anaganeri)と呼ばれ、スワミを通して、人間に新しい次元をもたらした。

マントラの意味ー全能の神は永遠に存在し続けるという真実

神(GOD)と、全能の神(ALMIGHTY)のはじめの2文字ずつを組み合わせると、ゴール(GOAL)の単語になるのは、興味深い。

このことは、ただ全能の神の恩寵の光だけが、人間を永遠の神聖な存在に変化するように導くという真実を証明している。

スワミが深い思いやりを持ち、全能の神を最も重要だと認識していることは、彼の最も有名な、繰り返し唱えられるマントラに反映されている。それを、次に紹介しよう。

アルッペルンジョーティ(ARUTPERUNJOTHI)

アルッペルンジョーティ(ARUTPERUNJOTHI)

タニッペルンカルナイ(THANIPPERUNGKARUNAI)

アルッペルンジョーティ(ARUTPERUNJOTHI)

弟子たちが気に入っているように、文字通りに読み解くと、この節は、地球を導くためにやって来た神の深い思いやりと偉大な光を表わしている。

しかし、この節の本当の意味は、そうではない。

広い心で内なる光からこのマントラを熟慮しなければ、本当の意味を理解できない。そのようにして、私たちは本当の意味を理解することができた。

初めの1行は、次のように説明できる。

この宇宙が形成される前、ただ暗闇だけがすべてを覆っていた。

この時期、全能の神でさえも活動していなかったと、信じられていた。

しかし、それは真実ではない。神ははじめも終わりもないからだ。

高貴な神の光は、存在しているのだが、神は目にみえない段階にあったので、誰も感ずることができなかったのだ。

これを証明するためだけに、スワミは1行目に

「神・アルッペルンジョーティはこの宇宙の創造以前にすでに存在していた。」と著わした。

神の存在がどのように、認識されてきたのか、2行目で定義している。

博愛に満ちた至高の神の光は、宇宙で、すべての人を高みに導くために、その内側と外側の両方から、今、働きかけている。

それゆえに、すべてのものは、永遠に祝福された生をおくることができる。

これは、有形(uruva)と無形(aruva)の段階を表わしている。

最後の行のアルッペルンジョーティは、宇宙が滅びた後も、この至高の光は存在し続ける、ということを意味している。

全能の神は永遠に存在し続けるという真実は、このように証明されたのだ。

「ダエイオウ(DAEIOU)」とその内にある意味

1873年の11月の間、シッディワラガ寺院の前に旗を掲げた後、スワミは長い説話をした。

その旗は、聴衆が将来どんな仕事を引き継ぐべきなのかを、はっきりと示していた。

いくつかを以下に抜粋する。

「注意しなさい。あなたは、どんな宗教も信じてはいけません。なぜなら、どんな宗教も、その神はただの偶像だけで、その宗教は本当の真理をはっきりと表しているわけではないからです。

すでに十分苦痛を味わった後、残された時間はわずかなのに、そういった宗教を学び始めたとしたら、非常に少ない恩恵しか得られず、祝福されて永遠に生きる機会を失ってしまうでしょう。

時はとても短い。

先に述べた理由で、私は唯一の証人としてここに今、立っています。

私が、一度はシヴァ神を深く信仰していたことは、皆さんがよくご存知のことと思います。

その目的はすでに消え去りました。

私がシヴァ神に深い信仰心を抱いていたことは、その当時、私にはわずかばかりの智慧しかなかったことを証明しています。

神は、私を高い次元まで引き上げてくださいました。

これは、ただ単に私が完全に神にすべてを委ねたからです。

もし、あなたが同じ道を選ぶなら、あなたは最高の恩恵を受けるでしょう。

わたしが、ここまで達成できたのは、宗教的熱心さではなく、ただ神の愛によるものです。

神の慈悲深い偉大な御業だけで、私をこの高い次元にまで引き上げていただいたのです。」

偉大な霊的な教え(Mahopadesam)

スワミは、神の恩寵(Dayavu)だけで、彼をこの高みに引き上げたと断言した。

次は、神の恩寵(Dayavu)の本当の意味を、さらに明確に理解することが、私たちの役割だ。

では、これからそれを説明することにしよう。

タミール語のDayavu は、おもに愛・慈悲・神の恩寵などとして知られている。しかし、さらに広い意味もある。

私たちが、新しいことを始める時、大脳脊髄腔からの光が、新しい思考やアイデアを与える。

Dayavuを表現することが、私たちの思考・単語・行為を通して一度実行されると、その理解はより深まる。

このような経験を積み重ねることで、私たちは真理に至るだろう。

タミール語のDa-iは7番目の子音である。

また、Da-iは、人体の7段階目の状態で(ニラダラムNiradharam)、神が住む場所であり、その状態になると、人間は神の存在を認識し、永遠に続く幸せな状態で神と共にあり続ける、と考えられている。

Ya-oは、魂に神が宿ることを表わす。

このように、これらふたつの文字ioの組み合わせは、神が人間に宿り、神聖な人生に導くことを表わしている。

vuの文字は、すべての生物、無生物が永遠に生きるゴールを目指して創造された世界を表わしている。

さらにvuの文字は、5番目の母音であり、神の5つの力を表わしている。それで、人間は足と手に5本の指を持つようになった。

これらのことから、Dayavuは本当の神の形で、Dayavuの経験が神と共に生きることを可能にすると、推論できる。

人間は自分が神になるために、思いやりに満ちた生涯を神に捧げなければならない

タミール人以外が、Dayavuを本当に理解することは難しいので、

英語で’DAEIOU’という新しい言葉が作られた。

この単語は、1つの子音と5つの母音を含む。

母音は有声音で、子音は無声音であることは、みんなが知っている。

Dの文字を(時計回りの反対に)上に向けると、人の頭を表わす。頭の中では、つねに光が光っている。

この光から、5つの力であるPorul(物質)、Kriya(行為)、Gnana(知識)、Yoga(ヨガ)、Arul(至福)(これらは5つの母音を表わす)が宇宙に広がり、すべての原子・エネルギー・智慧・魂の力・そしてこの上なく幸福な暮らしを創造する。

このようにDAEIOUを表わすことで、人間は永遠の祝福された命を認識し、永遠に生きる事ができる。

この祝福された命は、全人類に与えられるべきだ。

これは、宗教的に生きるとか、無宗教で生きるという問題ではない。

また、物質主義者であるとか、有名な聖者や昔のリシについて霊的生活を送る、という問題でもない。

だから、誰も、今の人生を変える必要はない。

偏見・宗教的愛国主義・カースト制度を抜きにして、すべての人々が自分の神聖な中心であるDAEIOUを広げる努力をしなければならない。

内側の最も深い部分から人生が花開く時、すべての真理は光に到達し、人間を完全に祝福された人生へと導くだろう。

神の愛を受けとる鍵は、束縛という錠を開けることであり、その鍵は、壮大な思いやり無くしては成り立たない。

つまり、人間は自分が神になるために、思いやりに満ちた生涯を神に捧げなければならない。

ここにゴールがある。

神の愛と共にある人間はすべてDAEIOUに沿った生き方であるゴールに到達し、すべての内に存在する神を愛することができる。

あとがき

今回の記事で『ワララール ラーマリンガ・スワミ物語』も終わりになります。

2月にインドのラーマリンガ・スワミの寺院に行ってから、インドには有名な聖者が沢山いますがマハアヴァターババジ大師のように滅びゆく肉体までをも神の恩寵で進化させた類い希な近代の聖者ラーマリンガ・スワミのことをヨガをしているものとして、もっと詳しく知り研究したい気持ちと

ラーマリンガ・スワミ自信の意志で、縁のある方に働きかけられたい思いをインドで感じたのがキッカケで2月に一緒にインドに行った英語の堪能なKさんが全部翻訳して下さいました。

本当にありがとうございました。

私の分担は、名前や町や村、タミール語、サンスクリット等をインド読みに直すことでした。

この最終章は、特にですが元々のインドの原作者の考えや哲学が入っていますがそのまま載せることにしました。なので最終章というより原作者のあとがきであり、原作者による全体の纏めです。

また縁があれば、ラーマリンガ・スワミ自信の著した著作が沢山あるので世に送り出せたらと考えています。

ご愛読ありがとうございました。

アルッペルンジョーティ
アルッペルンジョーティ
タニッペルンカルナイ
アルッペルンジョーティ

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