ラヒリ・マハサヤの言葉ー深遠な平和の霊気を放った神人

Lahiri-Mahasaya

Lahiri-Mahasaya

常に無呼吸・不眠・心臓の鼓動と脈拍の停止という状態で終日まばたきもせずに端座し、深遠な平和の霊気を放った神人

ラヒリ・マハサヤ大師(1828年~1895年)は、パラマハンサ・ヨガナンダ大師の「あるヨギの自叙伝」により知られるようになった”完全に解脱したヨギ”です。ラヒリ・マハサヤ大師は、マハアヴァター・ババジ大師より真摯な求道者にクリヤヨガを伝える仕事を任され全うされました。

その様子は「あるヨギの自叙伝」にも記載されていますが、大師は弟子たちを育てる中で様々な霊的助言を伝えられており、その後弟子たちがその助言をまとめたものが本(英語など)になっています。その内容はクリヤヨガを行ずる者はもちろんのこと、クリヤヨガの伝授を受けていない方にとっても非常有益で霊的鼓舞を受けるものばかりです。そこで、一部日本語に翻訳して、一般に公開しても良い内容をこのページで紹介することにしました。

クリヤの唯一の目的 は、スティラットワの状態、「永遠の静けさ」に到達することです。この状態だけが、永遠の平和または内なる知恵を授けたり獲得したりする能力を持っています。実際のところ、永遠の静けさは、永遠の平和を表現する別の方法です。

自分がだれのものでもなく、また、だれも自分のものではない、ということを忘れてはいけない。そして、いつかこの世のすべてのものを残して急に旅立たなければならない日が来ることを覚悟して、今から神と親交を結んでおきなさい

毎日、聖なる知覚を養う瞑想の気球に乗って、やがて来る死の幽界旅行に対する準備をしておきなさい。あなたがたは、マーヤの幻覚のために、自分を肉や骨のかたまりだと思っているが、肉体はせいぜい苦悩の巣窟でしかない。真の自分は、いかなる不幸にも襲われることのない無限の存在であることを速やかに悟るために、たゆまず瞑想しなさい。クリヤの秘密のかぎを用いて、肉体の牢獄を脱け出し、無限の霊の中に逃げ込むことを学びなさい。

回教徒は、日に五回ナマージの礼拝を行ないなさい。ヒンズー教徒は一日に数回瞑想し、キリスト教徒は一日に数回ひざますいて神に祈り聖書を読みなさい。(弟子たちに、 おのおのが信ずる宗教の伝統的なおきての中の良いものは忠実に守るようすすめられた。)

英知は、いにしえの啓示を、ただ読むだけではなく真に悟ることによって得られるものだ。あらゆる問題を瞑想によって解決しなさい。無益な思索によらず、神との霊交によって解決するよう努めなさい。

心の中から教条主義的神学のあかを取り除いて、そのかわりに、直覚という新鮮な癒しの水をくみ入れなさい。自分の意識を内なる案内人に同調させれば、人生のあらめる問題に対する答えを聞くことができる。

人間は、自分の身のまわりに悩みや問題をつくり出す天才で、つぎつきとつくっては飽くことを知らないが、神もまた飽くことを知らぬ無限の教済者なのだ。

クリヤの種子は、霊的に肥沃な心にこそしっかりした根を下ろすのだ。

神との合一を可能にするものは、本人の努力であって、単なる神学的信条でもなければ、宇宙主宰者の気ままな意思でもない。

もし、神を夏の客として招いておかなければ、人生の冬が来たときに、神は訪れてくれないだろう。

つまらぬ世の富を求めず、聖なるまことの富を求めなさい。自分の内なる宝を手に入れさえすれば、生活に必要なものはいつも手もとに備わるようになる。

いいかね、お前の健康状態はお前の潜在意識の予期するとおりになるのだ。想念というものは、電気や引力と同様に一種の力なのだ。人間の心は、神の全能の意識の火花だ。そのような力をもった心で強く信ずれば、どんな事でもたちどころに実現する。

黒砂糖を精製し続けると、最終的に白砂糖になります。同様に、クリヤの実践を続けると、プラーナヤーマが完成します。

心を落ち着きのない呼吸や思考妄想から救うものはマントラと呼ばれ、肉体への執着から救うものはタントラと呼ばれます。

オームは輝く光です。この光が体中に広がると、すべてが見えるようになります。すると、話したり見たりする欲求がなくなります。

スティラットワ、つまり静寂の状態はヨガと呼ばれます。

クリヤを続けなさい。過去や未来について考えるのをやめ、心をプラーナ(生命)に向けなさい。もちろん、人は世俗的な義務を果たさなければなりませんが、クリヤの「パラヴァスタ」(クリヤ後の静けさ、平静)にとどまり、その静けさに基づいて行動しなければなりません。

クリヤを実践した後は、クリヤの余韻を維持する必要があります。

クリヤの実践に応じて結果が得られます。

心が静まっているとき、不必要な欲望は生じません。欲望を超えた状態にあるとき、人は不必要な行為を行いません。

人が静穏な呼吸を達成したとき、その人に残された唯一のすべきことは、常に静穏の状態を維持することです。

クリヤの実践は神聖な富、つまりスティラットワ、つまり平穏の状態をもたらします。

落ち着きのない心を退け、クタスタで自分自身を内側にすれば、すべての神々を見ることができます。

多くの人が、病気を治すためにクリヤを受けます。その後、安らぎ(治療)が得られても得られなくても、彼らはやめてしまいます。私はクリヤを尊重しない人にクリヤを与えたいとは思いません。

人々に救済の道を示すためにあなたが行っている仕事は、あなたの人生のあらゆる領域に祝福をもたらすでしょう。クリヤの平静を堅持し、それに従って進めば、すべては良くなるでしょう。

最初のクリヤですべては起こります。大いなる献身が必要です。パラヴァスタ【(クリヤ後の平静さ、またはクリヤ後の状態) と陶酔感-すべては最初のクリヤにあります。クリヤを続けてください。小さなことで忙しくしてはいけません。グルに集中し続ける人には、グルが目を離しません。自分自身の注意を怠れば、グルの注意に気づく人はいないでしょう。

クリヤを実践することは、ヴェーダを朗唱することです。クリヤを繰り返し実践することで、クリヤを超えた状態を知覚する。それがヴェーダーンタの啓示です。それはクリヤを実践することで知覚されるべきです。本を読むことで何かが起こりますか?
( インド哲学において、「ヴェーダ」は知識を意味し、「ヴェーダーンタ」は知識を超えたものを意味します。)

クリヤヨガを実践することは、ヴェーダを学ぶことです。クリヤヨガはヤグナ(ヴェーダの儀式の実行)です。誰もがこのヤグナを実行するべきです。

すべてのデーヴァタ、神々はこれらのクリヤを実践しています。クリヤを実践する人はデーヴァタです。

クリヤの実践は知恵の目を開きます。

クリヤヨガの実践が完璧であれば、無知は自動的に除去されます。

プラーナヤーマを実践することで、無知は払拭され、自己の知識が明らかになります。

肉体にとどまりながら解放を得るためには、厳格かつ規律に正確に従ったクリヤ (または、規則に正確に従ったクリヤ) が要求されます。そのとき初めて、グルの恩麗により、祈られたことはすべて実現します。[私たちは快楽、安楽、長寿を望んでいる。解放は望んでいない」と言う人々は、嘘でいっぱいです。彼らは祝福を望んでいますが、それは不可能です。

恐怖からクリヤを行うことはクリヤを行っていることではなく、そのクリヤによって救われることはありません。

心に力がない場合は、心が力を得る場所に留まり、その場所でクリヤを実践する必要があります。

大きな喜びをもってギーター(聖典バガヴァッド・ギーター)を唱え続けなさい。そうすれば、その後クリヤを受け取るでしよう。

身体が心から主を求めて叫ばなければ、内側から主を呼ぶ力はありません。不滅の永遠のグルは、その無原因の愛の典型です。主はいつでも皆の近くにいるのに、誰も主を気にかけません。

私は何千ものクリシュナを見ました。

私はヨニ (眉間) の中に4つのヴェーダ、ブラフマー、ヴィシュヌ、マヘーシュワラ (シヴァ神)を見ました。

目次