クリヤヨガジャパンにおけるクリヤヨガの系譜~ババジ大師より連綿と続くグル(霊的指導者)の系譜~を紹介します。(ヨガではグルパランパラと呼びます)
※基本的にグルは〇〇大師、〇〇師と呼びますが、以下の文章では読みやすさを考慮し多くを割愛しています。
マハアヴァター・ババジ

[謎に包まれた不滅の聖者]
マハアヴァター・ババジ
マハアヴァター・ババジ(Mahavatar Babaji)は、「偉大なる神の化身にして聖なる父」を意味する名を持つ、ヒマラヤの奥地に隠棲するとされる不老不死の聖者です。その存在は、パラマハンサ・ヨガナンダの著書『あるヨギの自叙伝』によって世界的に知られるようになりましたが、その起源や生涯については複数の説が存在し、神秘のベールに包まれています。
起源を巡る二つの主要な見解
ババジの出生については、大きく分けて二つの見解が伝えられています。
1. 時代を超越した存在(パラマハンサ・ヨガナンダ師の団体の見解) パラマハンサ・ヨガナンダの団体であるSelf-Realization Fellowship (SRF) によると、ババジの誕生に関する歴史的記録は存在しません。ババジは数百年、あるいは数千年以上にわたってヒマラヤで肉体を維持し、その姿は25歳以下の若々しさを保っているとされます。
この説の最大の特徴は、ババジがイエス・キリストと直接会談したという点です。ヨガナンダは著書の中で、イエスがインドを訪れた際にババジと会ったと記しており、これが事実であれば、ババジの年齢は少なくとも2000歳以上ということになります。さらに、8世紀頃の偉大な哲学者シャンカラや、15世紀の聖者カビールにも教えを授けたと伝えられています。この見解におけるババジは、特定の時代に限定されない、人類の霊的進化を悠久の時を超えて見守り続ける普遍的な存在として描かれています。
2. 西暦203年誕生説(クリヤ・ババジ・サンガの見解) 一方、ヨーギー・ラマイヤの系統を汲むマーシャル・ゴヴィンダン氏の団体「クリヤ・ババジ・サンガ」は、より具体的な出生情報を伝えています。それによると、ババジは西暦203年11月30日、南インドのタミル・ナードゥ州パランギペッタイで生まれ、生来の名前はナガラージであったとされています。聖仙アガスティヤとシッダ・ボーガルの弟子として修行を積み、不老不死の身を得たとされます。
大きく分けると、今説明したヨガナンダ大師のSRFの見解とヨーギー・ラマイヤ師のクリヤ・ババジ・サンガの見解の2つです。
ヨガナンダ大師の説だと、イエス・キリストとババジ大師は直接会っている。
クリヤ・ババジ・サンガのヨーギー・ラマイヤの説だと西暦203年生まれだとイエス・キリストと直接会うのは不可能です。
これは、私が直接ババジ大師から聞いた話しですが『イエス・キリストにもお前に授けたクリヤと同じクリヤを授けた』ということを私に言われました。
なので、今2025年の西暦がイエス・キリストが生まれた時から西暦がスタートして1年なのでキリストにクリヤを伝授しようと思ったら紀元前に生まれていないと不可能になります。

ただ、ババジ大師は私たちの常識が通じる訳もなくマハアヴァターなので『時間や空間』の法則に囚われず、西暦203年生まれでもイエス・キリストにクリヤを伝授する可能性も否定できないと思います。
なので、どちらの団体の主張も間違いではなく正しいと思っています。
クリヤ・ヨーガの復活と近代における活動

ババジの最も重要な功績の一つが、現代における「クリヤ・ヨーガ」の復活です。
19世紀:ラヒリ・マハサヤへの秘儀伝授
1861年、ババジはヒマラヤのラニケット近郊にある洞窟で、弟子となるラヒリ・マハサヤの前に姿を現しました。そして、永い間失われていた科学的瞑想法であるクリヤ・ヨーガの秘儀をラヒリ・マハサヤに伝授しました。その際、ババジは「私が19世紀にあなたを通して世界に伝えるクリヤ・ヨーガは、数千年も前にクリシュナがアルジュナに授けたのと同じ科学の復活である」と語ったとされています。この出来事により、クリヤ・ヨーガは現代に再び広まることとなりました。
20世紀:パラマハンサ・ヨガナンダへの使命
1920年、パラマハンサ・ヨガナンダがアメリカへ渡る直前、ババジはカルカッタのヨガナンダの自宅を訪れました。そして、「恐れることはない。あなたは守られる。あなたは、西洋にクリヤ・ヨガのメッセージを広めるために私が選んだ者だ」と告げ、その世界的な使命を祝福しました。
超常的な能力と現代文化への影響
ババジは、人間の常識を超えた数々の力(シッディ)を持つと伝えられています。崖から飛び降りた弟子を蘇生させたり、テレポートで移動したり、ラヒリ・マハサヤのために黄金の宮殿を物質化させたりした逸話が残っています。その肉体は光を放ち、食事を必要とせず、影や足跡ができないとも言われます。
ババジの存在は霊的な探求者だけでなく、現代のポップカルチャーにも影響を与えました。ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』や、ジョージ・ハリスンの『ダーク・ホース』のジャケットにその姿が登場し、ロックバンドのスーパートランプは『Babaji』という曲を発表しています。
ヨーガの王、ババジ
私は、2016年9月27日にババジ大師がラヒリ・マハサヤ大師にクリヤを伝授した洞窟のある山で直接会ってイニシエーションを受けてから、このクリヤの活動がスタートしました。
ババジ大師こそ、ヨーギ・ラージ(ヨーガの王)です。インドの長いヨーガの歴史の中でも彼ほどヨーギ・ラージという称号が合う大師はいないと思います。
ババジの名を敬意を込めて唱える者には、即座に霊的な祝福がもたらされると言われています。その存在は、歴史的な事実や年代を超越し、今もなお、人類を世俗の束縛からの解放へと導き続けているのです。


ラヒリ・マハサヤ

[クリヤ・ヨガの父]
ラヒリ・マハサヤの生涯
ラヒリ・マハサヤ(本名:シャーマ・チャラン・ラヒリ(Shyama Charan Lahiri)、1828年9月30日 – 1895年9月26日)は、19世紀のインドにおいて、失われた古代のヨガ技法「クリヤ・ヨガ」を現代に復活させた偉大な霊的指導者です。ラヒリ・マハサヤは僧侶としてではなく、家庭を持ち社会で働く「家長ヨギ」として生涯を送り、宗教や身分に関わらず、すべての真摯な求道者に解脱への道を示しました。その功績から「ヨガアヴァター(ヨガの化身)」として崇められています。
誕生から青年期まで
1828年、ラヒリ・マハサヤはベンガル州グルニ村のブラーミンの家庭に生まれました。幼い頃に母を亡くし、洪水で故郷を失った後、一家は聖地ヴァーラーナシーに移住します。幼少期から霊的な素養を示し、サンスクリット語、ベンガル語、英語など複数の言語を学び、特にヴェーダの研究に没頭しました。1846年に結婚し、二男三女をもうけ、家庭を築きます。1851年からは英国政府の軍事工学部で会計士として働き始め、父の死後は一家の大黒柱として、世俗の責任を誠実に果たしました。
ヒマラヤでの天命
クリヤ・ヨガとの出会い
ラヒリ・マハサヤの人生の転機は1861年、33歳の時に訪れます。ヒマラヤ山麓のラニケトに赴任した際、人里離れた山中で一人の聖者に出会います。その聖者こそ、幾多の過去世でラヒリ・マハサヤの師であった伝説のグル、マハヴァター・ババジでした。ババジは、ラヒリ・マハサヤに古代から伝わる霊的科学「クリヤ・ヨガ」を伝授し、この技法を、解脱を求めるすべての人々に広めるよう使命を与えました。この神聖な出会いによって霊的に覚醒したラヒリ・マハサヤは、故郷ヴァーラーナシーに戻り、静かにその使命を果たし始めました。
在家信者のための道
教えと奇跡
ラヒリ・マハサヤの最大の特徴は、出家することなく、家庭生活と仕事を続けながら霊性の頂点を極めた点にあります。彼の存在そのものが、世俗の義務に縛られている何百万人もの人々にとって、社会生活を送りながらでも神の悟りに到達できるという大きな希望となりました。
ラヒリ・マハサヤの教えは普遍的で、ヒンドゥー教徒だけでなく、イスラム教徒やキリスト教徒にもクリヤ・ヨガを伝授しました。彼はカースト制度の垣根を打ち破り、身分や宗教に関係なく、真摯な求道者を平等に受け入れました。弟子たちには、それぞれの宗教的伝統を尊重しながらクリヤ・ヨガを実践するよう勧め、個々の性質に応じて最適な霊的指導を与えました。
ラヒリ・マハサヤの生涯は数々の奇跡的な逸話に彩られています。遠く離れたイギリスにいる同僚の妻の病状を正確に言い当てたり、義父が寺院で崇めるシヴァ神の姿にラヒリの顔を見て弟子になったり、日本沖で船が沈没した際に溺れる人々の苦痛をリアルタイムで感じ取ったりするなど、彼の非凡な霊的能力を示す話が数多く記録されています。
後世への遺産と最期
ラヒリ・マハサヤは自ら組織を作ることはありませんでしたが、彼の教えは優れた弟子たちによって受け継がれていきました。その中でも特に重要な弟子が、後にパラマハンサ・ヨガナンダの師となるスワミ・スリ・ユクテスワ・ギリです。ヨガナンダの両親もラヒリの弟子であり、赤子であったヨガナンダを祝福したラヒリは、「この子はヨギとなり、多くの魂を神の国へ導くだろう」と予言しました。
また、ラヒリ・マハサヤは生前、「私の死後50年ほどで、西洋でヨガへの関心が深く高まり、私の生涯についての本が書かれるだろう」という予言を残しました。この予言は、彼の孫弟子にあたるパラマハンサ・ヨガナンダがアメリカで著した『あるヨギの自叙伝』によって、まさしくその通りに実現しました。この本を通じて、ラヒリ・マハサヤの名とその教えは世界中に知られることとなったのです。
ラヒリ・マハサヤは1886年に会計士の職を引退した後、霊的指導に専念し、約5,000人もの人々にクリヤ・ヨガを伝授しました。1895年、彼は病に倒れますが、「肉体は去るための理由を見つけなければならない」と語り、医学的な治療を拒みました。そして同年9月26日、ヴァーラーナシーの自宅で、弟子たちに見守られながら静かにマハーサマディ(大いなる悟りの境地で意識的に肉体を離れること)に入りました。彼の生涯と教えは、現代に至るまで世界中の求道者たちを照らし続けています。


スリ・ユクテスワ・ギリ

[叡智の化身]
スリ・ユクテスワ・ギリの生涯
スリ・ユクテスワ・ギリ(Sri Yukteswar Giri、1855年5月10日 – 1936年3月9日)は、近代インドにおける偉大な霊的指導者であり、科学的な視点と古代の叡智を統合した教育者として知られています。ユクテスワはパラマハンサ・ヨガナンダの師であり、クリヤ・ヨガの教えを論理的かつ体系的に次世代へと橋渡しした重要な人物です。「叡智の化身(ギャーナアヴァター)」と称される彼の生涯は、深い学識と厳格な精神修行、そして普遍的な真理の探求に捧げられました。
学究の道から僧侶へ
1855年、ユクテスワはインド西ベンガル州セランポールで、プリヤ・ナート・カンダルとして裕福な家庭に生まれました。若くして父を亡くし、一族の財産管理を担いながらも学業に励み、キリスト教系の大学で聖書研究に深い関心を持つようになります。その後、カルカッタ大学医学部に進学するなど、西洋の学問にも通じていました。
大学卒業後、ユクテスワは結婚して娘をもうけますが、若くして妻と死別。世俗の生活を離れ、霊的な道を歩むことを決意します。そして「スリ・ユクテスワ・ギリ」という僧名を授かり、本格的な修行生活に入りました。
二人のグルとの出会いと天命

1884年、ユクテスワの霊的な旅は大きな転機を迎えます。ヴァーラーナシーでラヒリ・マハサヤに出会い、クリヤ・ヨガの伝授を受けました。彼はその後ラヒリマ・ハサヤの傍らで熱心に修行に打ち込み、その深い知性と献身から、ラヒリ・マハサヤから「プリヤ(愛する者)」と呼ばれるほど深い信頼関係を築きました。
そして1894年、クンブ・メーラ(ヒンドゥー教の祭典)に参加した際、ユクテスワはラヒリ・マハサヤの師である伝説の聖者、マハアヴァター・ババジに初めて謁見します。

ババジはユクテスワに二つの大きな使命を与えました。一つは、ヒンドゥー教の聖典とキリスト教の聖書の根底にある共通の真理を解き明かす本を執筆すること。もう一つは、将来、彼のもとに遣わされる弟子(パラマハンサ・ヨガナンダ)を育て、西洋世界にヨガの教えを広めることです。

この天命を受け、ユクテスワは『カイヴァリヤ・ダルサナム(邦題:聖なる科学)』を執筆。この中で彼は、占星術と聖典に基づき、人類の意識が物質主義的な暗黒時代(カリ・ユガ)を終え、より高度なエネルギーを理解する時代(ドワパラ・ユガ)に入ったという独自のユガ理論を説きました。
教育者としての顔とアシュラムでの指導

ユクテスワは自身の家をアシュラム(僧院)に改築し、1903年にはオリッサ州プリーにもうひとつのアシュラムを設立して、弟子たちの指導にあたりました。彼の指導は非常に厳格で知られ、弟子は常に少数でしたが、その教えは深く、論理的でした。
ユクテスワは教育に強い関心を持ち、物理学、生理学、天文学、そして彼の専門であったジョーティシャ(ヴェーダ占星術)などを組み込んだ独自のカリキュラムを考案しました。彼は占星術を、個人のカルマを解き明かす科学として捉え、惑星の影響を調和させるために宝石や腕輪の使用を勧めましたが、同時に、それに盲目的に依存するのではなく、霊的な実践によって運命を乗り越えることの重要性を説きました。
1910年、マハアヴァター・ババジの予言通り、若き日のパラマハンサ・ヨガナンダがユクテスワの弟子となりました。彼はヨガナンダに大学教育を終えるよう強く勧め、東西の思想を深く理解させ、将来の使命に備えさせました。

マハーサマディと不滅の遺産
スリ・ユクテスワは、ブラフマチャリヤ(学生期)、グリハスタ(家住期)、ヴァナプラスタ(林住期)、サンニャーサ(遊行期)というヒンドゥー教の伝統的な人生の四段階を自ら体現し、完璧な生涯を送りました。
1936年3月9日、ユクテスワはプリーのアシュラムで、弟子に見守られながら静かに座したまま、自らの意志で意識的に肉体を離れる「マハーサマディ」に入りました。

しかし、ユクテスワの物語はそこで終わりませんでした。彼の死後、ムンバイのホテルに滞在していたヨガナンダの前に、肉体を持って復活した姿で現れたという驚くべき逸話が『あるヨギの自叙伝』に記されています。この時、彼はヨガナンダに死後の世界の構造やカルマの法則といった深遠な宇宙の真理を詳細に語ったとされています。
スリ・ユクテスワの遺産は、彼が育てたパラマハンサ・ヨガナンダやパラマハンサ・ハリハラナンダといった弟子たちを通じて世界中に広まりました。彼の厳格さの中にあった深い慈愛、科学と霊性の統合、そして普遍的な真理への探求心は、今なお世界中のクリヤ・ヨガ修行者たちにとって、かけがえのない導きの光となっています。


パラマハンサ・ヨガナンダ

[東西の架け橋となったヨギ]
パラマハンサ・ヨガナンダの生涯
パラマハンサ・ヨガナンダ(Paramahansa Yogananda、本名:ムクンダ・ラール・ゴーシュ、1893年1月5日 – 1952年3月7日)は、インドの古代の叡智であるヨガと瞑想を西洋世界に紹介し、普及させた現代における最も影響力のある霊的指導者の一人です。彼の生涯は、深い霊的探求、献身的な奉仕、そして文化の壁を越えて普遍的な真理を分かち合うという使命に貫かれていました。
生い立ちと霊的探求の始まり
(1893年 – 1910年)
1893年、ヨガナンダはインドのゴーラクプールで、敬虔なヒンドゥー教徒の家庭に生まれました。幼い頃から彼の霊性への関心は並外れており、神を悟った師を見つけることを熱望していました。父親の仕事の都合でインド各地を転々とする中、ヨガナンダは多くの賢者や聖者を訪ね歩きました。11歳の時に母を亡くし、母が遺した聖なるお守りを心の支えとしました。このお守りは、彼が真のグルに出会った時に役目を終えて消え去ると予言されていました。高校卒業後、ヨガナンダは一度出家しますが、組織的な活動に馴染めず、真の導きを求めて祈り続けました。そして1910年、17歳の時に運命的な出会いを果たします。ヴァーラーナシーの街角で、彼は生涯の師となるスワミ・スリ・ユクテスワ・ギリに出会ったのです。その瞬間、彼が大切に持っていたお守りは忽然と姿を消し、彼の師を探す長い旅は終わりを告げました。
修行とインドでの基盤構築
(1910年 – 1920年)

ヨガナンダはその後10年間、スリ・ユクテスワの僧院で厳格な霊的修行に励みました。ユクテスワ師はヨガナンダに、ヨガの世界的な普及という特別な使命のために、伝説の聖者マハアヴァター・ババジによって遣わされたことを告げました。1915年に大学を卒業すると、彼は正式に僧侶となり「スワミ・ヨガナンダ・ギリ」と名乗ります。1917年、彼は現代教育とヨガの訓練を組み合わせた男子校を設立。この学校は後に、ヨガナンダの世界的な活動のインドにおける拠点「ヨゴダ・サットサンガ・ソサエティ・オブ・インディア」へと発展しました。
西洋への布教:アメリカでの活動
(1920年 – 1935年)

1920年、瞑想中に「多くのアメリカ人の顔」というビジョンを見たヨガナンダは、自分が西洋へ行くべき時が来たと悟ります。マハアヴァター・ババジからも直接、クリヤ・ヨガを西洋に広めるよう啓示を受け、ボストンで開かれる国際宗教リベラル会議への招待を受諾しました。同年、アメリカに渡ったヨガナンダは、その講演で大成功を収め、インドの霊的教えを世界に広めるための組織「セルフ・リアライゼーション・フェローシップ(SRF)」を設立しました。その後、アメリカ全土で講演ツアーを行い、何千もの人々が彼の教えに感銘を受けました。1925年にはカリフォルニア州ロサンゼルスに国際本部を設立。彼はアメリカで人生の大部分を過ごした最初のヒンドゥー教のヨガ指導者のひとりとなりました。しかし、その活動は順風満帆ではなく、インド独立運動への警戒からFBIやイギリス当局の監視下に置かれ、人種差別による脅迫や妨害にも直面しました。
試練とインドへの帰郷
(1935年 – 1936年)

アメリカでの活動中、ヨガナンダは元弟子からの金銭を巡る訴訟や、後年には父子関係を巡る根拠のない疑惑(DNA鑑定で完全に否定)といった試練も経験しました。
1935年、ヨガナンダは15年ぶりにインドへ帰郷します。師スリ・ユクテスワとの感動的な再会を果たし、マハトマ・ガンジーをはじめとする多くの著名人と交流しました。この滞在中、スリ・ユクテスワは彼に「至高の白鳥」を意味する最高の霊的称号である「パラマハンサ」を授与しました。しかし、喜びも束の間、1936年3月に師は肉体を離れます(マハーサマディ)。師の死後、ヨガナンダは復活したスリ・ユクテスワと超自然的な邂逅を果たし、死後の世界の真理について教えを受けたと自伝に記しています。
晩年とマハーサマディ
(1936年 – 1952年)

1936年末にアメリカへ戻ったヨガナンダは、南カリフォルニアに居を構え、執筆活動に多くの時間を費やしました。この時期に、彼の代表作であり、20世紀のスピリチュアルな古典とされる『あるヨギの自叙伝』が完成します。
1946年、ヨガナンダは移民法の改正を利用し、市民権を申請し1949年に申請が承認され、彼はアメリカ合衆国に帰化しました。晩年は公の場に出ることを控え、著作の完成と後進の指導に専念しました。
1952年3月7日、駐米インド大使を招いた晩餐会でのスピーチの最後に自身の詩『わがインド』を朗読し、「ガンジス川、森、ヒマラヤの洞窟、そして人々が神を夢見る場所――私は神聖な存在である。私の体はその土に触れた」という言葉で締めくくり、ヨガナンダは視線をクタスタに上げ、体は床に崩れ落ちたといわれいます。

医師の診断による死因は心臓発作とされましたが、弟子たちはこれを、ヨギが自らの意志で肉体を離れる「マハーサマディ」であると信じています。ヨガナンダの遺体は死後3週間、腐敗の兆候を全く見せなかったと葬儀所長の公証された手紙に記されており、その驚異的な状態は、彼の非凡な生涯を象徴する最後の奇跡として語り継がれています。


パラマハンサ・ハリハラナンダ

[宇宙の師(ヴィシュワ・グル)]
パラマハンサ・ハリハラナンダの生涯
パラマハンサ・ハリハラナンダ(Paramahamsa Hariharananda、1907年5月27日 – 2002年12月3日)は、20世紀を代表するクリヤ・ヨガの偉大な師であり、その深い学識と霊的境地から「ヴィシュワ・グル(宇宙規模の師)」として世界中から尊敬を集めました。彼は、クリヤ・ヨガの正統な系譜に連なる複数の師から教えを受け、その奥義を極めるとともに、世界の主要な宗教聖典を統合的に解説し、クリヤ・ヨガの普遍性を世界に示しました。
神童の誕生と初期の探求
1907年、ハリハラナンダはインド・ベンガル州の裕福なブラーミンの家庭に、ラビンドラナート・バッタチャリヤ(愛称:ラビ)として生を受けました。幼い頃から非凡な知性を発揮し、4歳で複雑なサンスクリット語のマントラを記憶し、父からヴェーダ占星術や手相占いなどを学びました。

12歳の時、高名な師であるシュリ・ビジョイ・クリシュナ・チャトパディヤイ(Shri Bijoy Krishna Chattopadhyay)と出会い、ジニャーナ・ヨガの伝授を受けます。10年以上にわたる修行の後、彼は悟りの最高境地である「ニルヴィカルパ・サマーディ」に至る道を求めましたが、師はそのためにはクリヤ・ヨガの偉大な師、スワミ・スリ・ユクテスワ・ギリのもとへ行くよう助言しました。
クリヤ・ヨガの奥義を極める

1932年、ハリハラナンダはセランポールのアシュラムでスリ・ユクテスワと運命的な出会いを果たし、クリヤ・ヨガの第一段階の伝授を受けました。ユクテスワは彼の才能を見抜き、オリッサ州プリーにあるカラール・アシュラムの管理を任せます。ここから、彼のクリヤ・ヨガの奥義を極めるための長い修行が始まりました。
ハリハラナンダの修行は一人の師にとどまりませんでした。彼はクリヤ・ヨガの系譜に連なる複数の正統な師から、そのすべての段階を学びました。
- 1935年:インドに帰国したパラマハンサ・ヨガナンダから第二クリヤを授かる。

Paramahansa Yogananda
- 1940-41年:スワミ・サティヤナンダ・ギリから第三クリヤを授かる。

スワミ・サティヤナンダ・ギリ
(Swami Satyananda Giri)
(生没年:1896–1971)
パラマハンサ・ヨガナンダの幼少期からの友人。ヨガナンダが設立した「Ranchi(ランチー)の学校」を後に引き継ぎ、校長を務める。
- 1943-45年:ラヒリ・マハサヤの直弟子であるシュリマット・ブペンドラナート・サンヤルから、最後の高等なクリヤを伝授される。

シュリマット・ブペンドラナート・サンヤル
(Shrimat Bhupendranath Sanyal)
(生没年:1877年 – 1962年)
若くしてラヒリ・マハサヤに師事し、クリヤヨガを深く修行。「家庭生活を送りながらクリヤヨガを実践できる」というラヒリ・マハサヤの教えを体現した模範的人物。晩年は「Sanyal Mahasaya」と呼ばれ、多くの弟子を導きました。
この間、ハリハラナンダは「ブラフマチャリ・ラビナラヤン」として苦行生活を送り、瞑想と沈黙に深く没頭しました。そして1946年から1948年にかけて、ついに彼は目的としていたニルヴィカルパ・サマーディを含む、様々なサマーディ(三昧)の境地に自在に達することができるようになりました。
天命の自覚と世界への布教

ハリハラナンダの霊的修行が頂点に達した1949年、伝説の聖者マハアヴァター・ババジが彼のアシュラムを二度訪れ、「東西にクリヤ・ヨガを広めることがあなたの使命である」と直接予言しました。この天命を受け、彼の活動は新たな段階へと入ります。
理由はわかりませんが、複数あるクリヤヨガの系統の中でも、ハリハラナンダ師の伝えるクリヤヨガは、それまでの師(ラヒリ・マハサヤ大師やヨガナンダ大師)が一般に伝えた行法と大きく異なる部分があります。人類全体の意識の進化を先導するかのようにより高度かつ強力な内容になっています。
1951年、パラマハンサ・ヨガナンダはハリハラナンダに、真摯な求道者たちにクリヤ・ヨガを伝授する権限を与えました。彼は愛するインド全土を巡る長い布教活動を開始し、彼はまた最高の霊的到達である『パラマハンサ』の境地に達しました。
そして1959年、52歳の誕生日に高名なシャンカラチャリヤからサンニャース(僧侶)の印可を受け、正式に「スワミ・ハリハラナンダ・ギリ」となりました。
1974年、ハリハラナンダは初めてスイスを訪れ、西洋での布教活動を開始します。弟子たちから親しみを込めて「ババ(父)」と呼ばれた彼は、ヨーロッパ、インド、アメリカに次々とクリヤ・ヨガのセンターを設立。彼の教えは、聖書、トーラー(ユダヤ教聖典)、コーラン、仏典など、世界の主要な宗教聖典に関する深い知識に裏打ちされており、あらゆる宗教の根底に流れる普遍的な真理をクリヤ・ヨガの視点から鮮やかに解き明かしました。その比類なき学識と洞察力により、ハリハラナンダは世界中のあらゆる階層の人々から指導者として仰がれました。

マハーサマディと不滅の栄誉
パラマハンサ・ハリハラナンダは、その生涯をクリヤ・ヨガの哲学と技法を世界中の人々と分かち合うという使命に捧げました。そして2002年12月3日、米国フロリダ州マイアミにて95歳でマハーサマディ(大いなる悟りの境地で意識的に肉体を離れること)に入りました。
ハリハラナンダの遺体は母なるインドへと運ばれ、オリッサ州政府は、僧侶に対しては前例のない「州の栄誉」をもって彼を迎えました。何千人もの僧侶と信者が見守る中、彼の亡骸は故郷の地に埋葬され、その偉大な生涯は終わりを告げました。ハリハラナンダの教えと遺産は、世界中に設立されたアシュラムやセンター、そして数多くの著作を通じて、今なお生き続けています。


ブラフマリシ・ラーガバナンダ

[在家信者の理想像]
ブラフマリシ・ラーガバナンダの生涯
ブラフマリシ・ラーガバナンダ・ナヤク(Brahmarshi Raghabananda Nayak、1938年9月19日 – 2016年10月31日)は、現代クリヤ・ヨガの系譜における傑出した指導者の一人です。彼は生涯を通じて在家信者(世帯主)でありながら、霊性の高みを極め、師であるパラマハンサ・ハリハラナンダから絶大な信頼を得ました。その生涯は、社会生活を営みながらでも霊的解脱が可能であるというクリヤ・ヨガの理想を体現しており、コミュニティでは敬愛を込めて「小さなラヒリ・マハサヤ」と呼ばれました。
師との出会いと天命の自覚

1938年に生まれたラーガバナンダは、1964年初頭、偉大な師パラマハンサ・ハリハラナンダと出会い、翌1965年、彼は師から正式にクリヤ・ヨガの伝授を受けました。特筆すべきは、師の深い愛と恩寵により、ラーガバナンダが伝授を受けたその日のうちに、至福に満ちたサマーディ(三昧)の境地を体験したことです。この神秘的な体験の中で、彼はクリヤ・ヨガの未来と、その教えを広める者として自らが果たすべき役割を瞬時に悟りました。この啓示を機に、彼は師の最初のサンニャーシ(僧侶)弟子と共に、クリヤ・ヨガのメッセージを世界に広めるための組織的な活動を開始。これが、後に世界規模へと発展するクリヤ革命の始まりとなりました。
科学が認めたヨギと指導者への道
ラーガバナンダの非凡な精神状態は、霊的な世界だけでなく、科学的な分野からも注目を集めました。1970年代、米国の著名な精神医学研究機関であるメニンガー財団は、彼を対象とした一連の科学的実験を行いました。研究者たちは、ラーガバナンダが深い瞑想状態にある際の脳波(特にアルファ波)を測定・分析し、その驚くべき結果に感銘を受け、彼に「平和の王子」というニックネームを付けました。この研究成果は、科学ドキュメンタリー『西洋のためのヨガ』や、ベストセラーとなった書籍『バイオフィードバックを超えて』で広く発表され、彼の名声は国際的に高まりました。
霊的な修行においても着実に段階を進め、ラーガバナンダは師ハリハラナンダの直接指導のもとで全ての高等なクリヤ・ヨガの修行を完了。1974年、彼は正式に「アチャリヤ(教師)」としての資格を授かり、他者を指導する権限を与えられました。

ハリハラダンダ大師には高弟が複数におりましたが、弟子によって伝える行法が一部異なりました。クリヤヨガには主に瞑想のための身体造りとして行う”マハームドラ”とよばれる行法(通常の3つのポーズ)があります。ラーガバナンダ大師には通常のマハームドラに加えて、7つのポーズの組み合わせた特殊な動きが入る”シャクティ・サンチャーリニ・マハームドラ”を伝えられました。
以降、ラーガバナンダは霊的な探求者を導き、クリヤ・ヨガに関する多数の書籍を執筆し、後進の指導者を育成するという神聖な使命に熱心に取り組みました。
在家信者によるアシュラム運営と最高の栄誉

1992年、師ハリハラナンダは自らが設立した「ハリハラナンダ・クリヤヨガ・ミッション」の会長にラーガバナンダを任命しました。このアシュラムは、インドでは世帯主が運営する非常に珍しいアシュラムのひとつです。師が「クリヤ・ヨガこそ家庭を持つ人々に最も適した道である」というメッセージを、彼の愛弟子を通じて明確に示したものでした。
また、ラーガバナンダは1986年から「クリヤ・ビレッジ」というユニークなコミュニティをオリッサ州バナビラで育んできました。この村では、住民の多くがクリヤ・ヨガを実践し、非常に貧しく質素な生活を送りながらも、並外れた意識と幸福の状態に浸っている村人たちを観察することができます。

ラーガバナンダの長年の献身と霊的境地に対し、師ハリハラナンダは1992年に、在家弟子に与えられる最高の称号である「ラジャリシ(王家の賢者)」を授与。さらに2013年には、コルカタのプレジデンシー大学において、クリヤ・ヨガのコミュニティから、悟りを開いた在家ヨギを意味する「ブラフマリシ」として公式に表彰されました。
不滅の遺産と最期

ラーガバナンダは、2016年10月31日に88歳でその肉体を離れるまで、ハリハラナンダ・クリヤ・ヨガ・ミッションの終身会長として、師の教えを広める活動を続けました。彼の生涯は、仕事や家庭といった世俗の義務を放棄することなく、それら全てを神への奉仕として無執着に果たすことで霊性の高みに至れるという「カルマ・サンニャーシ」の理想を見事に体現するものでした。その姿は、同じく偉大な在家ヨギであったラヒリ・マハサヤを彷彿とさせ、ラーガバナンダの遺産は今なお世界中のクリヤ・ヨガ実践者にインスピレーションを与え続けています。

弟子のアラビンダ師に話されている動画

ブラフマヴィッド・アラビンダ

[クリヤヨガの正統なる継承者]
ブラフマヴィッド・アラビンダ師
ブラフマヴィッド・アラビンダ(Brahmabid Arabinda Nayak、1975~)は、マハアヴァター・ババジから始まる由緒あるクリヤヨガの系譜を受け継ぐ現代の指導者です。彼の教えは、インド政府にも認可された団体「アラビンダ・クリヤヨガ・ミッション」(ブラフマヴィディヤ・クリヤヨガ・ミッション)を通じて世界に伝えられています。アラビンダは、師であるブラフマリシ・ラーガバーナンダからその実力を認められ、伝統を継承しつつも独自の深化を加えたクリヤヨガを指導しています。
アラビンダの経歴と修行の道

アラビンダ(本名:アラビンダ・ナヤク)の歩みは、若き日の探求から始まります。
- 1975年12月14日:インドのオリッサ州デオガーで生誕。
- 1989年(14歳):スワミ・ニランジャンに師事し、ヴェーダやヴェーダンタ哲学の学習を開始。霊的な探求の基礎を築きます。
- 2002年12月15日:後に彼のグル(師)となるブラフマリシ・ラーガバーナンダと出会い、クリヤヨガの第一段階の伝授を受け、本格的な修行の道に入ります。
- 2002年〜2011年:パラマハンサ・ハリハラーナンダ系譜に連なる「ハリハラーナンダ・クリヤヨガ・ミッション」において、指導員として9年間にわたり活動。多くの修行者の指導にあたりながら、自身の修練も深めていきました。
- 2010年、2011年:自身の探求と実践の成果をまとめ、クリヤヨガに関する書籍を2冊出版。この頃から、指導者としての名声が高まり始めます。

- 2012年1月15日:修行の集大成として、最終段階である第7段階のクリヤヨガの伝授を受けます。
- 2012年:その卓越した実力を認めた師ラーガバーナンダの勧めを受け、「ハリハラーナンダ・クリヤヨガ・ミッション」から独立。自身の団体「ブラフマヴィディヤ・クリヤヨガ・ミッション」を設立し、クリヤヨガの普及に新たな一歩を踏み出しました。
- 2015年:結婚し、一男一女を授かります。
- 2020年:時代の変化に対応し、オンラインでのクリヤヨガ指導を開始。これにより、彼の教えは地理的な制約を超えて広まることとなりました。
ラーガバナンダ大師と共に出版した本を使って講義される若き日のアラビンダ師
アラビンダ師が伝えるクリヤヨガの独自性

アラビンダのクリヤヨガは、パラマハンサ・ハリハラーナンダの系統を基礎としながらも、師であるラーガバーナンダの数千人の弟子の中から選ばれた2名の内弟子として特別なクリヤヨガの指導を受けたことにより、独自の発展を遂げています。
- 高度な技法の早期導入: 通常は第5段階で学ぶ「ガヤトリー・プラーナヤーマ」を第1段階のカリキュラムに組み込むなど、初期段階から非常に高度な技法を伝授します。これは、修行者がより早く深いレベルに到達できるよう配慮されたものです。
- 7段階のクリヤヨガ体系: 多くのクリヤヨガ団体が4段階の体系であるのに対し、ハリハラーナンダの系統は7段階のクリヤヨガを伝えています。アラビンダはこの深遠な体系のすべてを継承しており、特に2段階目の「ハイヤークリヤ(高度なクリヤ)」には、5〜7段階目の行法の約70%が含まれています。
- 進化したマハームドラ: 瞑想のための身体を作る「マハームドラ」においても、アラビンダは独自の工夫を加えています。基本となる「シャクティサンチャーリニ・マハームドラ」に、ハリハラーナンダが加えた2つのポーズと、アラビンダ師自身が編み出した1つのポーズを統合し、より効果的な実践法を確立しています。

アラビンダは、通常のハリハラーナンダ系統のクリヤヨガではなく、毎週2回ラーガバナンダ師の部屋に呼ばれて伝授されていた内弟子用のクリヤヨガを伝授しています。内弟子用のクリヤヨガは最初から高度かつ強力なため、求道者側にも一定の霊的素養が求めらます。
グルとしての系譜

アラビンダ師は、クリヤヨガの黄金の系譜にその名を連ねています。この系譜は、グルから弟子へと途切れることなく愛と叡智が受け継がれてきた証です。
- マハアヴァター・ババジ
- ラヒリ・マハサヤ
- スリ・ユクテスワ
- パラマハンサ・ハリハラーナンダ
- ブラフマリシ・ラーガバーナンダ
- ブラフマヴィッド・アラビンダ
アラビンダは、この偉大な師たちの教えを忠実に守りながら、現代の探求者たちが霊的な道を歩むための、科学的かつ合理的なアプローチを提供し続けているのです。


ブラフマヴィッド・クリヤナンダ

[クリヤヨガとシッダーンタ・ヨガ(※)の伝道者]
ブラフマヴィッド・クリヤナンダの軌跡と教え
ブラフマヴィッド・クリヤナンダは、インドの伝統的な霊性修行としてのヨガを日本で伝える指導者です。30年以上にわたる求道の歩みは、精神的な苦悩から始まり、数々の聖者との出会いとヒマラヤでの厳しい修行を経て、マハアヴァター・ババジから直接クリヤヨガを伝授されるという奇跡的な体験へと至ります。
※シッダーンタ・ヨガ:インドには悟りをも超えて滅びゆく肉体をも聖化させ不死に至ったシッダと呼ばれる聖者がいます(参考図書:ババジと18人のシッダ)。彼らは不死に至るまで非常に特殊な霊行を行っており、その内容はある霊的段階に至った内弟子のみに伝えら、クリヤナンダ師はラーマリンガ・スワミなど複数の系統のシッダーンタ・ヨガを継承しています。
はじめに:求道の原点とインドへの旅立ち
1973年に生まれたクリヤナンダの探求は、18歳の頃に始まりました。当初は論語や孟子といった中国哲学に傾倒し、陽明学を学びましたが、他者や自身を厳しく評価するようになり、精神的に追い詰められ、鬱病となり自殺を考えるほどの苦境に陥ります。精神科の薬に頼ることなく自ら解決策を模索していた1993年、叔父の誘いでサティヤ・サイババに会うためのインドツアーに参加します。

この渡印が、クリヤナンダの人生を大きく変える転機となりました。これをきっかけにヨガの道を歩み始め、インドの伝統的な解脱を目指すヨガの修行に身を投じることになります。
インドでの修行と探求の始まり(1993年~)
1993年から2011年に亡くなるまで、サティヤ・サイババに師事し、何度もインドに渡航、合計で約8年間滞在しました。この間、一子相伝の行法を含むマントラヨーガ、ラージャヨーガなど、様々なヨガを複数の師から学びます。
霊的な探求はクリヤヨガにも及び、1998年にはパラマハンサ・ヨガナンダが設立した「SRFのクリヤヨガ」を学び始めます。1999年頃には、マーシャル・ゴーヴィンダン氏の来日に伴い「ヨーギ・S.A.A.ラマイヤ系統のクリヤヨガ」の伝授を受け、2002年にはインドで「ラヒリ・マハサヤ系統のクリヤヨガ」の伝授を受けるなど、様々な系統のクリヤヨガを実践し、その知識と経験を深めていきました。この時期、1999年には半年間にわたる悟りの体験も経験しています。
1998年

SRFのクリヤヨガ
1999年頃

ヨーギ・S.A.A.ラマイヤ系統のクリヤヨガ
2002年

ラヒリ・マハサヤ系統のクリヤヨガ
深まる霊性の道と聖者たちとの邂逅

クリヤナンダの修行は、アルナーチャラ山やクダジャードリ山の洞窟で暮らすタパス(苦行)の実践や、ダッタ・サンプラダヤ、ナヴナート・サンプラダヤといった伝統的な宗派の修行にも及びました。
この過程で、数多くの聖者との重要な出会いを経験します。
- 2008年:スリランカのヒーラーであるブッダ・アヴァター(シュンニャ)より、仏陀のマントラを伝授されます。
- 2012年:肉体を非物質化して消えた聖者ラーマリンガ・スワミが祀られる寺院にて、そこの僧から弟子として迎え入れられ、秘儀であるシッダヨガを伝授されます。この時、3ヶ月間にわたり毎日15時間もの瞑想修行を行いました。
- 2013年:スワミ・シャンターナンダ・ギリ師に師事し、女神崇拝の修行法であるシュリー・ヴィディヤを伝授されました。
これらの出会いと修行を通じて、霊性は一層深化していきました。
マハアヴァター・ババジとの奇跡的な出会い(2016年)

2016年9月27日、クリヤナンダの修行は頂点を迎えます。ヒマラヤの山頂、かつてマハアヴァター・ババジがラヒリ・マハサヤに初めてクリヤヨガを伝授したとされる洞窟のある場所で、ババジ本人とクリシュナ神にまみえ、直接クリヤヨガを伝授されるという恩恵を受けます。ババジからは「この特殊なクリヤは、私が許可した者にのみ、それなりの資格を持つ者にのみ教えなさい」という厳格な指示を受けました。この体験は、師のその後の指導の根幹を成すものとなります。
指導者としての確立と現在の活動(2020年~)

長年の修行と探求は、2020年5月に一つの結実を見せます。ハリハラナンダ系統のクリヤヨガをアラビンダ師より学び、僧名『クリヤナンダ』を授かります。同時に、インド政府認定のクリヤヨガ団体『アラビンダ・クリヤヨガ・ミッション』より、日本人で初めてクリヤヨガの伝授資格を公式に認定され、同団体の日本代表に就任しました。
現在は愛知県名古屋市を拠点に、ハリハラナンダ系統のクリヤヨガを中心に、本来の伝統的な霊性修行としてのヨガの指導を行っています。2024年には再びババジが現れ、カーリー女神の力を与えられるという体験もしています。

クリヤナンダが伝えるクリヤヨガ
クリヤナンダが伝えるクリヤヨガは、ラーガバナンダからアラビンダへと伝わった初段から非常に強力な”内弟子用のクリヤヨガ”に加え、様々な聖者から学んだ一般的に知られていない修行法や、不死に至ったラーマリンガスワミ系統の秘技も加わり、修行が進むにつれて猛烈に強力になっていきます。

1993年から2011年まで教えを受け、指導の土台になっている。

1874年、肉体を非物質化してこの世を去ったラーマリンガ・スワミ。クリヤナンダ師は世界に3人もいない非常に強力な奥義を受け継ぐ。

伝統的なクリヤヨガに加えて、ある段階からババジより直接伝授を受けたより強力に作用するクリヤ技法も加わる。
クリヤナンダが伝えるヨガの本質

クリヤナンダは、現代日本で普及している身体的な側面に偏ったヨガとは一線を画し、自己の本質(アートマ、魂)を探求し、神との合一を目指す「霊性修行(サーダナ)」としてのヨガを伝えています。彼が言う「神を信じる」とは、特定の教祖を盲信するのではなく、「宇宙の創造主であるブラフマン(無形の神)という本質を知り、世界の原理や真理を理解すること」を意味します。聖者が言う「私を信じなさい」とは、その聖者の肉体ではなく、その本質である創造主を信じ、その理を理解しなさい、という呼びかけだと説きます。クリヤナンダ師は、古代インドから続く「霊性の科学」の極致であるクリヤヨガを主軸として、人類の霊的向上をサポートすることを使命として活動を続けています。
神の探求を「お金」「家族」「異性」「仕事」「名誉」「権力」よりも絶対的に優先できるかです。もちろん、生活のためにそれぞれは必要ですが1番が『神の探求』が絶対的に不動です。
この世界の人間の殆どは、『自分が肉体』という肉体意識が一番優勢な人たちです。でも、自分が認められたいマハアヴァタール・ババジ大師や神々は、高次の存在で彼らは、『自分が肉体』という肉体意識が一番優勢という人ではないです。私たち人間を粗雑なレベルとすれば彼らは、精妙なレベルです。粗いエネルギーとは一緒にいれない高次の存在です。なので繋がるために絶対に肉体意識を無くしていく必要があります。
それぞれ、こうやって挙げると大変かと思いますが『神の探求のためにあらゆる犠牲をいとわぬことを誓う者』、燃える探求心があれば、敗けても上手くいかなくなくても何度でも挑戦は可能なので乗り越えていくしかないのですし、乗り越えられます!
日本では、ヨガ人口も増えていますが、『神への愛』を持って、『神への憧れ』を持って、『神にたどり着く』ためにヨガをしている人は、まだまだ少ないと思います。
本当は、『ヨガ』は神にたどり着くための科学的技法なので『神への愛』がなければ、何を目指しているのか分からないです。
『神への愛』を説くバクティ・ヨガでなくとも
『瞑想のヨガ』であるラージャ・ヨガをするにも
『知識のヨガ』であるニャーナ・ヨガをするにも
『仕事や奉仕を通じてのヨガ』であるカルマ・ヨガをするにも
『呼吸法が中心』のクリヤヨガをするにも
本当は、『神への愛』が必要です。
だって、それぞれのヨーガのゴールが神であるからです。
ゴールを『神』と呼ぼうが、『ブラフマン』と呼ぼうが、『宇宙霊』と呼ぼうが、『創造主』と言おうが形のない、無形に向かっているのです。
『神への愛』や『神への憧れ』によって解脱に至った本当の聖者たちは、本当に美しいと思います。
『お金』や『仕事』や『家族』や『地位』や『名誉』や『権力』や、そういったものより『神への愛』にエネルギーを注げる人だけが狭き解脱の門をくぐることができます。

